« 2011年07月 | メイン | 2011年09月 »

2011年08月31日

学校経営~お客様第一の姿勢を貫く

  業績が伸びている企業にはいくつかの共通点がありますが、その最大のものは〝お客様第一〟という考え方が従業員一人ひとりにまで貫かれているということです。〝お客様は神様です〟というへりくだった態度は行き過ぎかも知れませんが、まずお客様の言い分を聞き、少しでも企業に非があればこれを積極的に受け入れ対応します。何故ならいくら自分達の正当性を主張したとしても、その結果お客様に受け入れられなければ販売や利益が減少し企業の存続はできなくなるからです。つまり、企業業績の差は顧客満足度の差であると言えると思います。
  これからはすべての分野で〝サービス〟という考え方が必要になってきます。教育という仕事も〝人材育成サービス業〟ととらまえれば、生徒や保護者の満足度を上げる、つまり徹底的に不満を解消していくことが大切です。最近、よくマスコミ等で学校の比較が取り上げられるようになってきました。私もこの結果を注視していますが、公立・私立を問わず人気のある学校は例外なく他校にない特色づくりを行なっています。公立と私立では授業料が高いという経済的な理由で、私学が敬遠されてきたのも事実ですが、私学間では、授業料に見合った教育サービスができているかどうかが学校選択のポイントになっています。
  本校においては、現在コース制を柱とする学校改革に取り組んできています。この基本は人間力と学力を兼ね備えた〝将来社会で役立つ人材の育成〟です。そのためにきめ細かい指導を行なってきていますが、決して学力向上だけを目指して詰め込み式の教育を進めている訳ではありません。この成果は徐々に現れつつあり、お蔭さまで年々本校を受験していただく人も増えつつありますが、更に教育サービスの向上につとめていきたいと思っています。

    H23.5.12_1.jpg
    H23.5.12_2.jpg 


2011年08月30日

兵庫県私学学校展の開催

tusin184_shigakuten01.jpg tusin184_shigakuten02.jpg

  8月30日(火)、兵庫県の私学 中学・高等学校52校が参加する『第6回兵庫私学中学・高等学校展』が大丸神戸店で開催されました。会場は少し手狭ですが、兵庫県の全私学52校が一堂に会して開催される合同説明会は壮観そのものです。会場入口には各校のパンフレットが山積みされ、『兵庫の私立中学・高等学校ガイド』と各校のブース配置図が配られました。
  各校は前日までに説明資料やパンフレットを搬入し、各校の担当者は午前10時の開場に備えてそれぞれのブースで来場者を待ち受けましたが、開場と同時に生徒・保護者の皆さんが希望する各校のブースに殺到され、開場はたちまち熱い熱気に包まれました。私も本校の入試広報部の先生達と共に朝から来場された生徒や保護者の皆さんに本校の状況を説明させていただきました。今年は会場の都合で、8月末のしかも平日開催となりました。まだ、初日で来場者は確定していませんが、昨年度に比べて減少するのは避けられないようです。この催しは31日も午後6時まで開催されますので、是非お越しください。
  私は受験校を選ばれる際には、是非学校に足を運び、生徒の様子や学習環境をご自分の目で確認していただくことをお勧めしています。本校は5年前から学校改革を進めてきており、これまではほぼ順調に推移してきています。しかし、改革はこれで終了ということではなく、毎年新たな挑戦を続けてきたいと思っています。これからもホームページ等を通じて、積極的に情報を発信していく予定ですので、ご確認ください。
  また、本校ではいつでも入試相談に応じておりますので、事前にご一報いただき、是非ご来校ください。

2011年08月29日

キュウリとゴーヤのルーツ

tusin179goyakyuri.jpg
  
  8月も終わりになり、厳しい暑さの中にも朝晩は気温も下がり、秋の訪れを感じさせるようになってきました。これと共に毎日多くの実をつけていたキュウリの収穫は終わりつつありますが、ゴーヤはまだ盛んに花を咲かせており、肥料を切らさなければまだまだ実をつけそうな状況です。普段私達は多くの野菜や果物を食べていますが、これらのルーツについてはあまり知らないことが多いようです。以前トマトのルーツについて紹介したことがありましたが、今回はキュウリとゴーヤについて紹介します。
  キュウリは漢字で胡瓜と書くようにウリ科の植物で原産地はインド~ヒマラヤ山脈南部で、3千年も前から栽培されていたようです。中国には胡麻(ごま)や胡桃(くるみ)、胡椒(こしょう)などと一緒に伝来しました。ちなみに「胡」というのは、中国からみた西方民族のことであり、これらが外来のものであることがわかります。一説には漢の張騫(ちょうけん)がもたらしたとも言われています。日本には6世紀から10世紀頃中国から伝来しましたが、当時は今のように未完熟の青々しいものを食さず、完熟させて黄色いものを食用にしていたため『胡瓜』とは言わず『黄瓜(きうり)』と呼ばれていたようです。本格的に栽培されるようになったのは17世紀以降ですガ、現在果菜類の中では消費量がトップです。
  一方、ゴーヤの原産地は東インド、インドネシア、ボルネオなどの熱帯アジアで、日本には沖縄を経て慶長時代に伝わりました。和名の「ニガウリ」は、ウリ科に属し苦みがあることに由来しており、昔から夏場の健康野菜として重宝されてきました。中国と深いかかわりのあった沖縄には、薬と食事は同じとする医食同源という中国風の考え方があり、毎日の食事は単に飢えをしのぐものではなく、健康を維持するための薬として考えられています。ゴーヤに多く含まれるビタミンCは、皮膚の老化予防、風邪の予防、血液中のコレステロール値を下げ、鉄分の吸収を助けることから、ゴーヤもただの野菜としてではなく、夏バテ予防のために食べられてきたようです。そして、最近の健康志向を反映して、消費量が増加してきているのです。

2011年08月28日

よりよい学校づくりを目指して

H23.7.12%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A.jpg

  8月も残すところわずかになってきました。本校は既に2月期がスタートしていますが、間もなくすべての学校が新年度を迎えることになります。日本においては、通常新年度は4月から始まり、3月に終わるということになっていますが、他の国で9月スタートというところが多いようです。また、企業の決算を見ると4月からスタートするところが多いようですが、1月や5月スタートのところもあります。いずれにしても、スタートにあたって「しっかりとした計画が出来上がっている」ことが大切ですが、昨今のように環境が激変している時には、かなり綿密に変動要素を洗い出し、シミュレーションをしておかなければなりません。
  私も今年、教育の仕事に就いて10年目を迎えますが、企業に比べると学校には経営という視点が弱いように感じています。これまで公立高校での勤務の経験もありますが、ほとんどが学校を運営するというスタイルで、学校を経営するという見方はほとんどありませんでした。また、生徒がお客様であるという意識も薄いように感じました。さすがに公立とは違い、私学については「学校経営」という視点はありますが、まだまだ教職員にこの考え方が浸透しているとは言えません。そのため企業から学ぶべき点は非常に多いと思います。
  以前、優良企業の経営について調査した結果、発展している企業の取り組みには共通点があることが解りました。学校の場合、株主への優遇といった項目は該当しませんが、共通項は数多くありますので、これを〝より良い学校づくり〟に当てはめてみました。これをベースに9月から来年度の学校経営計画の検討に着手していきたいと思っています。

H23.7.12%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E7%99%BA%E5%B1%95.jpg

2011年08月27日

芝生クリーン活動

  PTA芝生クリーン活動 014-1.jpg

  8月27日(土)9時より、8月最後の土曜休日を利用してPTA施設委員会による『芝生クリーン活動(校庭の芝刈り)』を実施しました。振り返ると、昨年8月初旬に高3の生徒達と教職員、野球部ほかクラブの部員、総勢約400人が校庭に集合し、芝生の植え付けを行ないました。それから早いもので丁度1年が経過しました。本校にとって、芝生の維持管理は初めての経験ということもあり、これまでできる限りの注意を払ってきましたが、何度も芝の発育が悪くなり、刈り込むと茶色くなったり、雨のあとは決まって大きな水たまりができる等さまざまな事象が発生しました。とりわけ、苦労したのは雨降りが続くと苔が生えてきて根元の土が黒くなるため、土を補充しなければならないということでした。
  芝刈りの作業はこれまで生徒や校務員が都度担当してきましたが、一週間後に文化祭が開催されるということもあって、この度保護者の方々にご協力いただくことになりました。初めての試みでしたが心配していた雨も降らず晴天に恵まれ太陽の日差しがジリジリ照りつける中、PTAの池上会長様をはじめとする実行委員会のメンバー9名、PTA施設委員の12名、教職員8名の総勢29名が手分けして芝生クリーン活動を展開しました。作業は大小8台の芝刈り機を使い芝の刈込をするグループ、雑草をとるグループ、グランドの周りからはみ出して生えている芝生をスコップで掘り起して移植するグループ、水分を補給するグループ等に分かれて行ないました。さすがにこれだけの人数が集まると、1時間あまりで作業は完了し、見違えるほど美しい状態になりました。その後、懇談をしながらおにぎりとお茶で昼食をとり、和やかな雰囲気で本日のグリーン活動の行事を終えることができました。
  芝生も常に目配りしながら愛情を注いでいけば立派に育っていきます。教育と共通する点が多々あるのではないかと感じています。本日は残暑厳しい中、PTAの保護者の皆さんには大変ご尽力いただき心より感謝しております。是非、来年以降も(施設委員会)の恒例行事として続していっていただければと思っています。


PTA芝生クリーン活動 004-1.jpg PTA芝生クリーン活動 010-1.jpg

2011年08月26日

学校経営~広報活動を強化する

1103243.JPG

  8月26日(金)、大阪府の教育委員と私学経営者の代表による『大阪教育会議』が開催されました。大阪府では私学助成に対する政策の変更により、今春私学シフトが大きく進みました。この結果、公立高校全体では実に49校で1498人の定員割れが生じ、私立は3240人の入学増となりました。しかし、公立の中にも競争率の高い学校がある一方で、私立の中にも入学者が募集人員を大きく下回る学校もあります。要は、保護者や生徒から選ばれるような人気のある学校には生徒が集まり、そうでない学校は定員を充足することができなかったということです。
  私は公立高校での勤務の経験がありますが、総合学科に再編統合される前の守口・守口北の2つの高校は、募集活動らしいものはほとんどなかったように思います。言い換えると募集活動をしなくても生徒が確保できるという状態であったようです。この状況が一変したのが今春の入試であったと思います。
  私学においては進路や教務、生徒指導等の分掌と同様、入試広報を重要な分掌として位置づけています。生徒が入学してくれなければ入学金も授業料も補助金も入ってこないため、校舎建設や耐震補強、設備の充実等の教育環境を整えることも出来ませんし、先生に対しても十分な給与が支払えなくなります。また、極端な場合には先生の数を減らすということも検討しなければなりません。こうなると、質の高い教育活動を行なうことも出来なくなるため、広報活動を重要な経営戦略の一つに位置づけています。少子化で生徒数が減少すれば当然の結果として入学者が減ることになります。これは公立高校でも同じですが、入学する生徒が減ってもヒト・モノ・カネはすべて教育委員会で決められているため、どうしても学校経営という見方が抜け落ちてしまうことになります。しかし、生徒が入学してこないというのは民間企業において消費者が商品を買ってくれないとか、お店にお客様が来てくれないというのと同じことです。これからは公立・私立を問わず従来以上に広報活動を学校経営の大きな柱として位置づけ、全教職員に広報活動の大切さを浸透させていくことが必要です。
  本校では校内における入試説明会やオープンスクールの開催、校外での入試相談会、塾訪問、塾長説明会、全教員による中学校訪問、中学教員説明会をはじめ、学校案内やパンフレットの作成、ホームぺージによる教育活動の紹介等さまざまな取り組みを行なっていますが、更なる広報活動の強化につとめていきたいと思っています。

2011年08月25日

川西市教頭研修での講演を終えて

tusin183_kawanishi.jpg

  8月26日(木)、川西市の生涯学習センターにおいて、教頭研修が開催され、『新しい視点に立った学校づくり』というテーマで講演を行ないました。参加者は川西市立の幼稚園、小学校、中学校の教頭先生の他、教育委員長や教育委員、教育委員会のメンバーの約30名です。事前に課題を確認すると、教育環境の変化に伴って学校改革の必要性が生じてきているが、なかなか思い切った一歩を踏み出せないとのことです。今は教育界だけではなく、あらゆる分野で新たな取り組みが必要になってきています。しかし、どうしようもない状態に追い込まれないと、改革できないということが多いのです。そして、従来どおりのやり方を踏襲することになりがちですが、これでは確実に遅れをとることになってしまいます。
  私立学校に比し公立学校の改革が進まない理由は、根底に「公務員であり雇用が保証されている」ということでの根強い意識があるからではないかと思います。この意識が払拭されないと学校改革は進みません。そして、何か新たなことをやろうと思っても「金がない」「時間がない」「人がいない」といった理由で〝できない〟という結論に達することが多いのです。
  私も公立高校での勤務の経験がありますが、校長の補佐役としての教頭の職責は実に大切であると感じました。学校を改革していくという強い思いを持ち、あるべき姿を描き、戦略を立て、教職員の力を結集することにより、チャレンジしていって欲しいと思っています。

2011年08月24日

学園中期計画検討会議の開催

sP1030874.JPG-001.jpg

  8月24日(火)、全校朝礼を開催し昨日雨のためできなかった部活動での表彰を行ないました。この夏休に開かれた各種大会において、生徒達は大いに日頃の練習の成果を発揮し、優秀な成績を収めたようです。2学期が始まって2日目で、まだ夏休み気分の抜けきっていない生徒もいるようですが、新学期はほぼ順調にスタートできているように感じています。
  また、本日は午前10時から17時半までほとんど丸一日かけて、学園幹部が集まって『学園中期計画検討会議』を開催しました。本学園は「雲雀丘」と「中山台」という2つの幼稚園、小学校、中学・高等学校がありますが、これだけの時間をかけて中期の課題を検討することはあまりありません。従来はこの時期に学園内の各校種から主要な先生が集まり、外部の講師を招いて研修会を開催していました。その後、中高の夏休みの短縮を受けて、この研修を取り止め課題検討の場に切り替えましたが、この内容は各校種の年次計画報告の域を出ないものでした。これでは当然のことながら従来の延長線上の取り組みから脱却し、具体的な改革に繋げることはできません。この反省に立って、今年からは目標とすべき着地点を5年先に定め、極力あるべき姿を提示することにしました。そして、お互いに忌憚のないディスカッションを行なったため、課題はかなり明確になったと思います。
  それぞれの校種が改革に取り組むだけでは雲雀丘学園としての総合力を発揮することはできません。具体的な中期目標を設定し、相互に協力をはかりながら個々の活動計画に落とし込んでいくことが大切であると思っています。

001.jpg H23.8.24_01.jpg
 

2011年08月23日

2学期がスタート

011.jpg  013.jpg
  
  8月23日(火)、雨天のためマイク放送による2学期の始業式を行ない、次のような話をしました。

  〝皆さん、おはようございます。いよいよ今日から2学期が始まります。この1か月、皆さんは勉強や部活動、旅行等それぞれ充実した夏休みを送ってきたことと思います。私が一番うれしいのは、大きな事故もなく全員が元気に登校してきてくれたということです。
  今日は始業式にあたって、雲雀丘学園中学・高校はどういう学校を目指しているのかということをお話ししたいと思います。
  最近色々な方とお会いする機会が増えてきましたが、雲雀丘学園が随分注目され始めてきたように感じています。この日曜日(一昨日)高等学校のオープンスクールと入試説明会を開催したところ、400名を超える方にお越しいただきました。ほとんどの人の感想は„"きれいな校舎ですね〟〝生徒さん達が実に素直で礼儀正しくさわやかですね〟〝大いに好感が持てます〟というものでした。
  ところで、皆さんは〝雲雀丘学園はどういう学校ですか〟と聞かれたら、どのように答えますか?生徒同士が非常に仲が良い、生徒に対する面倒見が良い、環境に配慮した活動をしている等と答えるのではないかと思います。 しかし、私が素晴らしいと思うのは本校の校是です。私は、以前パナソニックという会社で35年間勤務してきましたが、この間に社会で活躍している人を数多く見てきました。この人達には共通点があります。
  一つ目は、高い志を持っているということです。この志というのは、お金儲けをしたいとか、有名になりたいといったものではありません。社会のために役立ちたい、人のために尽くしたいという強い気持ちです。
  二つ目は、自分なりの目標を達成するために、日々たゆまぬ努力を傾注しているということです。
  そして、三つ目は、日々自分のやってきたことを素直に反省しているということです。
これは、まさに本校の校是である「高志」「自律」「努力」です。5年前に、雲雀丘学園の校是を聞いた時に、この校是を実践することが、まさに〝社会で役立つ力を育てる〟ことであると思いました。
  今世界には69億の人が住んでいますが、このうち80%は、電気・ガス・水道のない家に住んでいます。また、日本でも今なお震災で避難所生活を送っている人もたくさんおられます。これからは、世の中のために役立つ仕事は、いくらでもあります。
  この雲雀丘学園での学校生活を通じて、皆さんの教室の前に掲げてある“高志・自律・努力”の校是をしっかりと身につけて下さい。そうすれば、必ず将来社会のために貢献できるようになると思います。それでは、本日も明るく、元気で、生き生きと楽しく学校生活を送りましょう。〟

2011年08月22日

食料廃棄をなくす

  tusin_canada_11.jpg  
  現在の日本の食糧自給率(カロリーベース)は、先進国の中では極端に低い水準です。先日、2010年の食料自給率が発表されましたが、39%と2年連続で低下しました。一時は41%と改善の兆しが見えていましたが、以前の最低の水準に戻ってしまいました。また、原発事故で食の安全性が揺らいできており、このままでは更に自給率が低下する恐れがあります。
食料自給率が低いということは、日本人の食は完全に海外に依存していることになります。この現状の持つ意味を我々はしっかりと認識していくことが大切であると思っています。。
  日本に食料を輸出している国では、日本向けの食料を生産するために土地の栄養分が失われ、大量の水が使われています。そして、やせた土地を回復するために化学肥料が投入され、耕作地を確保するために木が伐採され、二酸化炭素を吸収する森林が消滅してきています。今、世界で森林が消滅している面積は1秒間にサッカー場1つであると言われています。
  食料を海外から輸入しているということは、飛行機や船で運送するために大量の燃料が費消されていることを意味しています。。以前にも紹介したことがありますが、「食糧の輸入量×輸送距離」で表されるフードマイレージは世界中で日本がトップで突出しており、輸送段階において大量の二酸化炭素が発生しているということになります。
  更に、輸入した食糧を生ゴミとして廃棄しており、その処理のために膨大なエネルギーを使っているのです。当然のことながら焼却炉からは大量の二酸化炭素を排出しているのです。
このことは、とりも直さず、我々日本人は生産、輸送、消費・廃棄という3段階で二酸化炭素を発生させているということになります。今、地球温暖化を防ぐために、国を超えて地球規模で活発な議論がかわされていますが、日本がこのような状況を続けていれば世界から非難されることは間違いありません。

  まさに、食料廃棄は環境に対しても三つの罪であると言えます。我々一人ひとりがこのことに十分留意し、食料を大切にしていきたいものです。

2011年08月21日

第一回高等学校オープンスクール&入試説明会の開催

P1090137.jpg P1090144.jpg
IMGP1004.jpg IMGP1009.jpg

8月21日(日)、朝から生憎小雨がパラつくぐずついた天候の下、本年第1回の高校オープンスクールと学校説明会を実施しました本日は9時半の受付開始の30分以上前から多くの生徒と保護者の方が来校されました。オープンスクールの参加者は約300名の生徒と約100名の付添いの保護者となりました。
  本日のオープンスクールは事前にホームページを通じて申し込みいただいた方を対象にA・B二つのグループに分かれて、国語、英語、数学、理科、社会の授業と高校新校舎の見学・クラブ体験をしていただきました。また、オープンスクールの前後には「60記念ホール」において、放送部員による『学校紹介DJ』を5回にわたって行ないました。
  また、昼食を挟んで、午後1時半からは学園講堂で入試説明会を実施し、保護者と生徒合わせて424名(310組)が参加されました。冒頭、私は簡単に自己紹介をした後、『社会で役立つ力を育てる』というテーマでパワーポイントを使って次のような説明をしました。
 ①「皆さんは7年後には社会人になるが、これから世界は人口が増え続けると共にグローバル化がますます進展しBRICs諸国を中心に大きく変わってくる。
②この一方で、IT・バイオ・エコ・ナノをはじめとする新技術が開発され、新しい仕事や仕組みが続々と創出されてくる。
③現在、学校改革に取り組んでいるが、この基本の考え方は〝学園創立の精神の体現〟であり、孝道(親孝行)の精神である。本校の目指しているのは、大学への進学だけを目的にするのではなく、人間力と学力を兼ね備えた社会で役立つ力を有する人材を育てるということである。
④人間力・人格を磨けば必ず学力は向上する。木に例えれば、根っこを育てることである。学校改革は今のところほぼ順調に推移してきており、生徒の学力も向上し進学実績も伸びてきている。この素晴らしい学習環境の下でより一層充実し藻に教育活動を推進していきたいと考えている。                                                        続いて、教頭と入試・広報部長から、改革の進捗状況や学校の概要、本年度の入試結果と来年度の入試にあたっての留意事項の説明を行ないました。
  本日は、雨のため屋外の運動クラブの紹介は十分できず、申し訳なく思っています。また、一方的な説明のため、お解りにくい点も多々あったのではないかと思います。
  本校では、いつでも入試の相談や学校見学・クラブ見学に応じていますし、ホームページを通じてさまざまな学校情報を提供しています。また、9月4日には文化祭を実施しますので、是非ご来校いただき生徒達の学校生活の様子をご確認ください。

2011年08月20日

学校経営~業務を見直す

minaosu.jpg

  民間企業から公立高校の勤務に変わって驚いたのはあまりにも資料が多く、整理整頓ができていないということです。生徒に配布するプリントや答案用紙、生徒からの提出物が多いという学校特有の事情が理由のひとつにあげられますが、事務室や職員室の実態を見る限り、どうもそれだけではなく業務改善が進んでいないように感じました。
  その後、本校に着任しましたが、やはり同じような状況で、職員室内は公立高校と同じく前の人の顔が見えないくらい資料が積み上げられていました。しかし、新校舎建設に伴い、職員室内に資料保管のキャビネットを設置すると共に整理整頓を行なうことにより、以前に比べると各人の机の上は随分美しくなってきました。また、一人一台のパソコンの配備により、業務改善を行なう環境が整ってきました。
  民間企業では「コストを削減する」という考え方が浸透しているため、常に業務の見直しが行われています。特に付加価値を生み出さない間接部門は徹底したスリム化を目指して取り組んでいます。
  業務を見直す切り口としては「重要度」「緊急度」「業務量」「コスト」といったものが上げられます。業務を単純に分類すると「新規にやる」「より良いものにする(改善)」「やめる」という三つになります。まず現行の業務と将来発生する業務をすべて洗い出してこの三つに落とし込みます。そして限られた人員、予算、時間の中でどのような取り組みが必要なのかを検討し、重要度や緊急度の低い業務は極力なくしていきます。
  学校の業務には過去の延長線上の総花的な取り組みが多く、まだまだ見直す余地があるようです。今後、次のような視点でしっかりと業務を見直していきたいと思っています。
①三ムの撲滅・・・無理(ムリ)無駄(ムダ)斑(ムラ)を排除できないか
②RIAL推進・・その仕事はなくせないか、なくしたらどうなるか
③簡素化・・・・・シンプルにできないか
④システム化・・・有機的にまとめることはできないか
⑤標準化・・・・・誰にでもできる仕組みにならないか
⑥マニュアル化・・手順を明確にできないか
⑦平準化・・・・・仕事の繁閑をなくせないか
⑧スケジュール化・仕事の流れをスムーズにし手順前後が防げないか
⑨コトマエ管理・・事前に問題点をつかめないか
⑩ロス・コスト・バスター・・不必要な経費がかかっていないか 等

2011年08月19日

学校経営~ITの積極的な活用をはかる

  %E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB.jpg

  夏休みも残り少なくなってきましたが、本校では生徒が登校していない長期休業中に施設の補修や設備関係のメンテナンスを行なうことにしています。今年の夏には中央棟のエアコンのメンテナンスとパソコンの全数入れ替えを実施しました。
 お盆明けの17日に出勤すると、校長室のエアコンとパソコンが新しいものに入れ替わっていました。早速、パソコンを開いてみましたが、セキュリティー対策がなされていることやバージョンアップが図られていること等によって、かなり操作が複雑になっているようです。一般的に学校は民間企業に比べるとIT化が遅れているように感じていますが、本校においては、既に校内LANが設置され、一人一台のパソコンが配備されています。新校舎の建設に伴い、情報の迅速な伝達や共有化、資料の削減によるペーパーレス化、業務の効率化等をはかってきましたが、まだまだ十分とは言えません。今回は、これまでパソコンの共有をお願いしていた非常勤の先生方にも一人一台の配備を行なうことになりました。
  今の世の中は情報化とグローバル化が急速に進んできています。IT化のメリットははかり知れないものがあるため、多くの企業ではこのIT環境を高めることによって、単なる業務の合理化だけでなく、すべての業務の仕組みやマネジメントのあり方そのものを変えようとしています。そのため民間企業におけるITは経営戦略の一つに位置づけられており、トップダウンで推進されています。
  これからは、本校においてもマネジメント改革や教材の共有化による授業の質的向上をはかるためのツールとして大いに活用していくことが必要であり、IT化の推進は学校経営の仕組みを変えるという意味で、非常に重要な役割を担っています。そのためには、各人のITスキルのワンランク・アップをはかり、
新たな仕組みやシステムを構築していくことが重要であると思っています。

2011年08月18日

カナダ研修後記~③全体の感想

IMG_1194.jpg P1030681.jpg  P1030760%20-%20Copy.jpg PAP_0035.jpg
  カナダ研修に参加した生徒達には、研修を通じて経験したことや感じたことをレポートにまとめるように依頼していますが、私も夏期休暇を使って『東部カナダ研修旅行見聞録』としてまとめてみました。スケジュールに添って写真もとり入れたため、内容的にはかなり中身の濃いものになりました。思い出になると思いますので、できれば生徒達にも配布してあげようと考えています。この見聞録の最後に記述した簡単なまとめです。
 
  研修期間の大半がプリンス・エドワード島のシャーロットタウンでの滞在であったため、カナダの深いところまで知ることはできなかったが、全般の印象は次の通りである。
①国土が日本の27倍と広く、人口は4分の1ということもあり、とにかくゆったりとしている。
②歴史的にはまだ浅く若い国であり、エリザベスⅡ世女王を元首とするイギリス連邦の1自治国となっているが、イギリスの影は あまり感じられない。
③移民の国といわれるようにさまざまな民族が混在し、他民族国家になっている。イギリス、フランス系が主体であるが、4人に1人はアジア系他の民族であり、近年、特に中国人が急激に増えてきている。
④生活必需品(食料等)や居住費も水道・給湯・電気代込みで安いため、全般的に見て、生活しやすいという印象である。
⑤物品購入等については6%の連邦消費税と州税(州毎に異なる)が課されることになっており、トータルでは他の欧米諸国と同様、15%前後となっている。
⑥交通や通信、放送等のインフラはアメリカとほぼ共通になっているが、カナダとしての独自性を発揮しようとしている。経済的にもアメリカ依存度が徐々に低下し、最近はむしろカナダドルの方がアメリカドルよりも強くなってきている。
⑦多くの未開拓の地域が多いこと、地下資源等未開発の部分が残されていることから見ても今後大きな成長の可能性を秘めているように思われる。
⑧概ね日本人に対しても好意的であり、治安もアメリカ等に比べると悪くない。(大都市の状況がつかめていないのではっきりしたことは言えないが・・・)
⑨電力については豊富な水量を利用した水力発電が主体であるが、太陽光や風力の利用も進みつつある。また、ゴミの分別や省エネ等についての取り組みも積極的に導入されており、環境を大切にしていこうという考え方が浸透している。
⑩食べ物に関しては、量が多く味が濃い。それだけのカロリーを摂るためか、肥満体の人が多く見られる。
⑪トロント等の大都市では支援活動が続けられているように聞いているが、PEIにおいては、日本の原発事故についての質問を受けることはなく、関心は薄いように感じた。
⑫流行かも知れないが、気になるのは刺青を入れた人が目立つことであり、特に若い人の中にも数多く見られる。
  全般的に見て、カナダは世界の国の中でも暮らしてみたい国の一つであるのは間違いない。生徒達の中にも将来再びカナダに行く人が出てくるのではないかと思う。
  中学や高校という感受性の豊かな年頃に海外でのホームステイを通じて現地の人達と交流し、さまざまな異質な経験を積むことは、生徒達のこれからの人生に大きな影響を与えると思っている。短期間の研修のため、急速に語学力が伸長したということはないと思うが、この研修を契機として生徒達が一層成長してくれることを心から祈っている。

2011年08月17日

トマトのルーツを知る

21.7.28 トマトの成長記録 001a.jpg 21.7.28 トマトの成長記録 007a.jpg 

  最近は手軽に野菜の苗が入手できるようになったため、家庭菜園で手作り野菜を栽培する人も増えてきています。また、今年は家庭でのエコ活動の一つとして、キュウリやゴーヤのグリーンカーテンに挑戦している人も数多くいるようですが、私も茄子、シシトウ、キュウリ、ゴーヤ、トマト等を栽培しています。しかし、これらの野菜のルーツについては知らないことが多いため調べてみました。
  家庭菜園での代表的なものと言えば、まずトマトがあげられます。トマトはナス科の植物で、世界には実に約8000種類以上ものトマトが存在するとのことですが、最初は南米アンデス地方のペルー、エクアドルで、アステカやインカの民によって栽培されていました。
  その後、ラテンアメリカに到達したスペイン人によって、16世紀にジャガイモ、とうもろこし、唐辛子、その他さまざまな植物の種がヨーロッパにもたらされ、栽培されるようになりました。しかし、当初は鮮やかな赤色がもてはやされた反面、毒があると信じられ観賞用植物だったのです。そして、このトマトが食用になったきっかけが16世紀におけるイタリアの飢餓で、それまでは有毒と思って口にしたこともなかったトマトを食べざるをえなかったのです。ところが、食べてみると案外美味しいということで、その後、野菜として栽培されると共に品種改良が進み、スペイン、ポルトガル、イタリアの地中海地域で好んで食されるようになりました。
  日本には17世紀に、ヨーロッパから中国を経て長崎へと持ち込まれ、貝原益軒の『大和本草』の中に、「唐柿」として記述されています。最初は薬や観賞用で、一般に食べられるようになったのは明治になってからです。また、日本では冬に枯死するため一年生植物になっていますが、熱帯地方などでは多年生であり適切な環境の下では長年月にわたって生育し続け、延々と開花と結実を続けることができるようです。
  最近のトマトは化学肥料を使用するため、独特の香りが失われてきましたが、有機栽培したものは昔の香りが再現できるようです。トマトのルーツを知りながら熟した実を味わうのもなかなか興味深いものがあると感じています。

2011年08月16日

お盆の供養

tusin028_daimonji.jpg tusin164obonn1.jpg  

  お盆の行事は8月15日を中心に13日から16日までに行なわれるのが一般的で、かつてはお正月と共にお盆が重要な休みということになっていました。しかし、最近はお盆休みという言葉はほとんど聞かれなくなり、夏季休暇に変わったということもあって、この時期には帰省や旅行に出かける人も多いようです。
  お盆は〝正式には仏教における盂蘭盆会ですが、インドの古語であるサンスクリット語のUllambana(ウランバナ)がなまって、漢字に音写した〝盂蘭盆〟を略したものです。このウランバナというのはもともと〝逆さづり〟という意味で、地獄の苦しみを受けている人を功徳によって救うという行事ですが、先祖を崇拝し死後の悪い世界に堕ちないようにするという日本固有の心とが融合してお盆の行事が生まれたようです。
  一般的にはまず仏壇を掃除し、季節の果物、野菜、餅菓子等のご馳走を供える家庭が多いようですが、お盆でのお供え物の基本は五供(ごく)と言われています。これは「香」・「明かり」・「花」・「水」・「食べ物」の5種類です。このうち、明かりは灯燭(とうしょく)で仏前を明るくし、水は浄水(じょうすい)と呼ばれ、お盆の期間毎日、取替えます。また、食べ物のお供え物は、日常に食べるようなものをお供えしますが、袋物や封がされている物等は、口を開けてお供えすることになっています。
  更に先祖が乗ってくるということでキュウリとナスで馬と牛を作り供えると共に盆提灯や盆灯篭を飾ります。キュウリは先祖の霊を早く迎えるための馬、ナスはゆっくりお送りするための牛を表しています。この後、13日の夕方には家族でお墓参りをして火を焚いて祖先の霊を迎えることになりますが、現在はほとんどの家が墓地と離れているため、野外で迎え火をたき、先祖や亡くなった人を迎え、16日の夕方には送り火をたいてお送りすることになっています。
  また、お盆には日本各地で色々な催しが行なわれますが、有名な伝統行事のひとつに お盆に迎えた精霊を送る京都の大文字焼きがあります。正式には「京都五山送り火」と言われ、お盆に16日夜、京都市内の各地で催されます。
  最近は、お盆に先祖の供養をするという意識も薄らいできているようですが、我々の命は何代にわたる先祖の方々の命を受け継いできているのです。お盆は今日で終了しますが、日頃からご先祖を尊ぶという気持ちを忘れないようにしていきたいものです。

2011年08月15日

第66回終戦記念日にあたって

tusin143okinawa8.jpg

  8月15日(月)、本日は66回目となる終戦記念日を迎えることになり、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下と菅直人首相、遺族や政府関係者らが参列されました。
  式典では冒頭に菅首相が式辞を述べ、正午に1分間黙とう。天皇陛下のお言葉に続き、父がフィリピン東方海域で戦死した甲府市の河西佐智子さん(67)が遺族代表として、追悼の辞を読み上げました。
 厚生労働省によると、〝日中戦争と第二次大戦の戦没者は、軍人・軍属約230万人、民間約80万人の約310万人。遺族の高齢化に伴い参列者の世代交代が進んできており、10年前に548人だった戦没者の妻は減少し、今年はわずか43人(参列予定者数)で過去最少となり、父母は2年ぶりにゼロになった。そして、参列者の約3分の2を戦没者の子供と孫が占めることになり、子供の世代も約6割が70歳以上になった。〟とのことです。
  この状況を見ても、これから戦争を全く体験したことのない人が増加し、日本人の大半を占めるようになってきます。これは取りも直さず戦争の悲惨さを知る人が年々少なくなってくることを意味しますが、戦争が人々を幸せにすることは絶対にありません。この戦争では日本を含めたアジアの国々を中心に約1680万人の死者が発生しました。これらの中には、戦争による劣悪な生活環境の下での餓死者や病死者も多数含まれています。また、東京や大阪といった大都市を中心に無差別爆撃が行なわれ、広島や長崎に大量殺戮兵器である原子爆弾が投下されました。しかし、年月が過ぎ被災した人の平均年齢は70歳をはるかに超え、この出来事が風化されようとしています。忘れてならないのは日本は世界で唯一の原子爆弾被爆国です。また、今回深刻な原発事故に遭遇し、放射能の危機にさらされています。
  今、世界ではいたるところで紛争が発生し、核を保有する国も増え、テロのニュースも後を絶ちません。仮に核戦争になれば人類が滅亡するばかりでなく、地球そのものが消滅してしまう恐れもあります。終戦記念日にあたって、世界の平和を願い、核廃絶を強く訴えると共に、我々の生活のあり方についても今一度見直していきたいものです。

2011年08月14日

大阪私立学校展の開催

tusin181_shigakuten1.jpgtusin181_shigakuten2.jpg

  学校づくりのためには、自分達の学校に合った生徒を確保することが何よりも大切です。私学の場合には、入学者が減るとたちまち授業料、補助金、入学金の減少に繋がります。そして、収入がなければ教育環境を整えることも出来ませんし、充実した教育活動を行なうことも出来ず、学校経営は成り立ちないことになります。これは公立高校でも同じですが、入学する生徒が減っても学校経営に支障が出ると思っている教職員はほとんどいませんし、校長や教頭もこのような状況が続いても学校がつぶれるという危機感はあまりないように感じます。従って、これまで広報活動を積極的に行なう学校は少なかったように思います。しかし、現在生徒数はピーク時の半数になってきており、今年の入学者選抜の結果を見て、待ちの姿勢では生徒の確保は出来ないということが分かってきたようです。このため、公立においても広報活動に注力し始める学校が増えてきました。それでも私学の生徒募集の取り組みには、到底及びません。
  この状況を確認するためには、実際の私学の募集活動の現場を見ることが大切です。大阪では例年この時期に、府内の私学が一堂に会した『私立学校展』が開催されており、今年は昨日(土曜日)と本日(日曜日)の両日、天満のOMMビルにおいて開催されました。折角の機会ですので、生野教育委員長をお誘いして、この催しを見学することにしました。
  参加校は実に102校、入場者は初日が〝14095人で、昨年比1600人増〟2日目が〝10626名で、昨年比 1500名増〟合計では〝21672名で、昨年比3100名、17%増〟となり、過去最高の数字を記録し、大盛況でした。また、私の知り合いの多数の校長や教員も会場に来ておられ、熱心に生徒や保護者の説明に当たっておられました。初めて、この催しを見られた教育委員長もこの熱気に驚いておられました。そして、人気校のブースには長い行列ができており、来年度の入学者選抜においても、更に私学シフトが進むのではないかと感じました。残念なのは、教育委員会事務局をはじめ、公立高校関係者の姿がほとんど見られなかったことです。ライバル校の動きをしっかりと把握しておくことが何よりも大切であると思っています。

◇兵庫県においても、8月30日(火)と31日(水)に神戸大丸において、これと同様の『兵庫県私立学校展』が開催されます。是非、お誘い合わせの上、お越しください。

  

2011年08月13日

魅力ある学校づくり

P1020827.jpg P1020828.jpg                 

  カナダ研修から帰国した翌日、臨時の教育委員会議が開催され出席しました。今、日本の教育をめぐってはさまざまな課題が指摘されていますが、大阪府においては、独自の私学助成策を導入した結果、今春の高等学校の入学者選抜において大きな変化が生じています。
  主なものとしては「①府内の公立中学卒業者の進学率は過去最高の93.5%となった」「②私立高校への入学者の割合が全体の32.2%と増える一方で、公立高校の入学者は募集人員を約1500人下回り、全体の67.8%にとどまることになった」ということが上げられます。端的に言えば、生徒や保護者の私立高校志向が高まったということですが、よく見ると公立、私立共二極化が進んだということになります。言い換えると人気校とそうでない学校がはっきりしたということであり、公立高校の中にも受検者が募集人員を大きく上回ったところがある一方で、大幅な定員割れが起こったところもあります。また、私学についてもすべての高校が定員を上回ったわけではなく、入学者数が不足している学校も散見されます。
  この差はどこから生じるのかと言えば、〝どれだけ他校にない特色ある教育活動を行なっているか〟〝その結果として、どれだけ生徒を育てているか〟ということになります。そして、同時に〝いかに効果的な広報活動を行なっているか〟がポイントになります。これはメーカーが、他社にない差別化した製品を開発し、これをお客様に告知するために広告宣伝を行なうということと同じです。
  教育改革の最終の狙いは、大阪の教育力を高めるということです。すべての公立・私立の学校が切磋琢磨しつつ、今一度、原点に戻って、魅力ある学校づくりを目指していくことが大切であると思っています。

2011年08月12日

一石二鳥のグリーン・カーテンづくり

P1030468.jpg P1030470.jpg

  本校における環境活動の基本の考え方は〝身近なできることから始める〟ということです。私自身も現在、気のついたことから行動に移すことにしています。今年は原発事故の影響で、夏場には深刻な電力不足が予想されるということから、まず家庭内で最も電力消費量の大きいエアコンの使用時間を減らし、設定温度を高める等の節電対策をにつとめることにしました。また、同時に室温の上昇を押さえるために、グリーン・カーテンづくりにチャレンジすることにしました。グリーン・カーテンに適するのは、つる性の植物ということなので、5月の中旬、庭にキュウリとゴーヤを植えましたが、最初はなかなか大きくなりませんでした。畑と違って土地が狭いため、うまく育たないのではないかと心配していましたが、梅雨が終わり気温が上昇するにつれて、どんどんと蔓を伸ばし、最近では完全にリビング・ルームの窓を覆い、2階に届くまでに成長しました。そして、昼間の直射日光を完全に遮る(さえぎる)ようになってきました。この状態になると、窓際でも温度が上がらないため、エアコンをつける時間も確実に減ってきています。
  また、キュウリとゴーヤには花が次々と咲き、多くの実がついていますが、1日で驚くほど大きくなります。そのため、適当な時期に採取しないと、実が大きくなり過ぎてしまいます。お蔭で、最近は家族が交替で毎朝、これらを収穫しています。そして、これらの野菜はすぐに新鮮な食材として利用しており、まさに、一石二鳥の環境活動と言えそうです。
  何事も義務感で行なうのではなく、楽しみながら行動することが大切であると感じています。

2011年08月11日

カナダ研修後記~②カナダの歴史

tusin_canada_09.jpg
       ≪カナダの国旗≫
  
  カナダの歴史を紐解いてみると、随分若い国であることが解る。
  カナダへの植民は1534年フランス人Jカルティエがセントローレンス湾に入り、セントローレンス川岸をフランスの植民地ニューフランスにしたのに始まる。また、カナダという国の名前は、この時、現地イロコイ族に「ここはどこか?」と尋ねると「カナタ」と答えたことにちなむ。つまり、原住民であったイロコイ語のカナタkanata 「小屋の集落」に由来しており、「村落」を意味している。この頃は、丁度日本では室町時代にあたり、ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えたり、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来て、キリスト教の布教を始めた時期にあたる。このような史実を見ても、ヨーロッパの諸国が競い合って、全世界に乗り出していたことが解る。そして、17~18世紀にかけては世界のいたるところで植民地争奪が行なわれるに至ったが、カナダにとって大きな転機となったのは七年戦争(1756年-1763年)である。これはヨーロッパにおいて、イギリスの財政支援を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・スウェーデン・スペイン(1762年参戦)及びドイツ諸侯との間で行なわれた戦争であるが、これと並行して、イギリスとフランスの間では北アメリカ、インド、各大洋上で陸海に渡る戦いが繰り広げられた。そして、この戦いはイギリスの勝利で終結し、戦後のパリ条約(1763年)により、北アメリカ大陸のフランス植民地がイギリスに割譲され、イギリスの支配権が確立することになった。しかし、一方でイギリスは多額の負債にあえぐことになる。このため植民地への課税に訴えるが、これが仇となりアメリカ独立革命を引き起こし、南部分はアメリカ合衆国として独立することになり、この独立戦争でイギリス側についた人々の一部が北に移り住むことになる。そして、フランス系民族を蔑視しイギリス系に吸収・同化しようとするが、フランス系カナダ人はケベック州に自らを封鎖しフランスの言語・宗教・文化を保持し続けることになった。その後、1864年になって、イギリスの4植民地の指導者が中心となって連邦を結成し、1867年イギリス連邦カナダ自治領となった。これは奇しくも日本における大政奉還の年にあたっている。更に1931年外交自治権を獲得して完全な独立国となり、1982年新憲法を公布し、国権の最高機関を国会とし、イギリス君主は象徴とされ、今日に至っている。しかし、現在でもケベック州においては根強い独立運動が続けられている。

2011年08月10日

カナダ研修後記~①カナダの概要

P1030522.jpg
  
  生徒達には今回のカナダ研修にあたって、事前に色々なことを調べておくようにお願いしていたが、研修を終えた現時点で、カナダという国の概要についてまとめてみたい。
  
  カナダはイギリス連邦を構成する1自治国で、元首はエリザベス女王であり、10の自治州と3つの准州より成り立っている。しかし、国旗には他の自治国と異なりユニオンジャックがなく、カエデの葉と両端の赤いラインで構成されている。公用語は英語とフランス語、宗教は約8割がクリスチャンである。
  国土面積は997.1平方キロメーターでロシアに次いで世界第2位、日本の実に27倍もあり、アラスカ(アメリカ領)を除く北アメリカ大陸の北半分を占めている。北はコロンビア岬の北緯83度6分、南はエリー湖中のペレー島の北緯41度41分であるが、国土の大部分は山地や岩石、極地で人の住めない土地であり、開発された地域は国土の3分の1以下にすぎない。
  耕地や居住地は南のアメリカとの国境沿いや五大湖沿岸のベルト地帯の11%に集中している。人口は3387万人(2009年10月現在)で、日本の約4分の1である。また、移民の国という通称どおり、200を超える民族から形成されており、4人に1人はカナダ国外で生まれた移民一世である。
  気候的にはかなり厳しく、1月の平均気温が零度以上となるのは、バンクーバー付近のみであり、中部から北部にかけては広大な針葉樹林やツンドラ氷河地帯が広がっている。地形は西部太平洋のロッキー山系と東部大西洋のアパラチア山系の両者にはさまれた広大な地域で耕地・平原・低地の3地域に大別されている。
  有名な五大湖にしても、日本の面積の80%がすっぽりと入ってしまう大きさであり、オンタリオ湖ひとつとってみても、琵琶湖の実に30倍近い大きさであるから湖というよりは大海という表現の方がぴったりするようである。
  産業・経済面を見ると、植民の初期はタイガでの毛皮獣の捕獲および毛皮の取引が主であったが、その後鉱物資源や林産資源の開発、農業開発が進んだ。南部のプレリー地帯の小麦栽培と畜産、金銀銅ニッケル・ウランなどの鉱物、アルバータ州を中心とする石油天然ガス、東部や西部の林業・漁業も重要である。五大湖からセントローレンス川岸を中心に食品加工・石油精製・自動車・パルプ・製鉄・鉄鉱・機械・鉄道車輌、ハイテク関連などの工業も盛んで、実に輸出額の3分の2、GNPの3分の1を占めている。また、近年、石油価格の高騰に伴い、オイル・シェールやオイルサンド等の開発も進んで、きており、オーストラリアやブラジルと共に世界有数の資源国として世界から注目を集めている。
  

2011年08月09日

最終の宿泊地ハリファックスから日本へ

tusin180_3.jpg tusin180_4.jpg

  8月7日(日)、8時にスタディー・アブロード教室前に全員が集合する。各ホストファミリーが生徒を送ってきて、それぞれ抱き合って別れを惜しんでいる姿が印象的であった。
  その後、シャーロットタウンとの別れを惜しみつつ、ワレンさんの運転するバスでゲートウェイビレッジに向かう。ヘレン夫妻が二人の子どもさんを連れてここまで見送りに来てくれている。ヘレンさんの知り合いの近くのお土産店で赤毛のアンの衣装で記念写真を撮りしばらく休憩する。その後、コンフェデレーションブリッジを通って、ノヴァ・スコシア州に入る。この橋は全長12.9キロメートル、橋が完成するまではフェリーで45分もかかっていたが、今は車で12分と大幅に短縮されたとのことである。
  最終の宿泊地のハリファックスと日本とは時差が12時間ということになるため、丁度午前と午後が逆になる。ホテルに荷物を置いた後、徒歩で市内観光する。ここでの目玉はハリファックス・シタデルと大西洋海洋博物館である。ハリファックスの街を四方に見渡す小高い丘に立てられたこの要塞がイギリスによって建造されたのは1749年。当初はケベックから攻め込むフランス軍に対抗して建てられたが、1856年にはアメリカ軍からの攻撃に備えて現存する星形の城塞が造られたようだ。ここでは正午に大砲を撃つ儀式(noon gun ceremony) が1857年からクリスマスの日を除いて毎日、実に150年以上も続いている。城塞の内部には軍とシタデルの歴史を物語る兵器をはじめとするさまざまな品物が展示されている。その後に訪れた州立の太平洋海洋博物館には、難破船や海軍、ハリファックス大爆発の写真、タイタニック号の遺留品、多くの船の模型等が展示されている。またこの博物館の周りには、世界各地から集まった大道芸人達がそれぞれ自慢の芸を披露している。その後、ホテルに帰って、バイキング方式の夕食をとり、荷物をしっかり詰め込みできるだけ早く就寝するように伝える。
  8日(月)、6時半にバイキング方式の朝食を摂る。事前に伝えた時間に遅れた生徒が何人かいたが、7時半過ぎに空港に向けてスタート、搭乗手続きを終えた後、約50分遅れで、約2時間かけてトロントに向けて出発する。お蔭で、トロントでの自由時間が少なくなったが、国際線に乗り換え、14時20分に成田に向けて飛び立つ。飛行時間は約12時間強であるが、トロントと日本の時差は13時間あるため、途中で日付変更線を越え、9日(火)15時10 分に成田に到着。更に国内線に乗り継ぎ、19時10分に出迎えの家族や先生の待つ伊丹空港に戻ってきた。ここで、解団式を行なった後、生徒達はそれぞれの家庭に帰っていった。今日は、各家庭でカナダの話に花が咲くことになることであろう。

2011年08月08日

梅干しの効用

P1030464.jpg
  
  これまで海外に出かける時に、常備薬と共に必ず携行しているのが、梅干です。今回の研修旅行にあたっても、滞在日数に合わせて自家製の梅干を持参しました。
  梅は約1500年前、遣隋使であった小野妹子によって日本にもたらされたと言われています。もともと中国では梅干ではなく梅の実を燻製させて作った「鳥梅(うばい)」というものが薬として珍重されていました。そのため、わが国においても当初は薬用として使用されていたという記録が残っています。その後、平安時代や鎌倉時代には高級食品として貴族の間で食されており、戦国時代には戦場に出かける際に腰に梅干を携帯していたようです。
  また、江戸時代に入ると日本人の手によって梅の品種改良が進み庶民の間にも梅の食用が広がりました。そして、梅干が医療や健康面で脚光を浴びるようになったのは、明治時代になってコレラや赤痢の予防、治療に幅広く用いられ、大きな効用のあることが証明されたからです。
  梅干は酸っぱいために酸性食品であると思われがちですが、実は強いアルカリ性食品です。また最近、梅干には強い殺菌作用だけではなく、毒素を体外に排出する働きや血液をサラサラにする等さまざまな効用があることが判ってきました。このように梅干は日本人の智恵が生かされた世界に誇れる健康食品なのです。
  現在、スーパー等には数々の商品が販売されていますが、最近は価格を抑えるために台湾や中国産の梅を使用したものが多くなっているようです。また、高血圧の予防のために減塩の梅干が増えてきています。但し、これらには防腐剤や食品添加剤が使用されていますので、一度自家製の無添加梅干づくりに挑戦してみてください。

2011年08月07日

研修の終了にあたって

変換 ~ C8.jpg 変換 ~ C12.jpg

  8月6日(金)、この日が実質的に研修の最終日ということになる。午前中は通常通りの授業が行なわれる。11時に州知事が来訪され、色々とお話しする。
  昼食後はバスで「ディープ・シー・フィッシング」に出かける。昨年まではヒッポボート・ライドと2つのコースに分かれていたが、今年は全員がフィッシングの希望ということになった。3年前はほとんど釣れなかったが、昨年は入れ食い状態でかなりの大物が釣れたとの事。2艘に分乗して沖に出たが、波が高かったせいか船酔いする者が続出し、残念ながら途中で切り上げることにした。それでも、魚群探知機で魚のいる場所を探索していただいたこともあって、平均すると1人1匹以上釣り上げることができたようだ。
 5時からは研修の終了式が開かれたが、多くのホストファミリーだけではなく、赤毛のアンの俳優も飛び入り参加し、一人ひとりに修了書と記念品を渡してくれたため、場は大いに盛り上がった。その後、雲雀丘学園の歌を歌い、最後に私が学校を代表してお礼のスピーチを行なった。これで1週間にわたる研修はすべて終了し、明日はホストファミリーと最後の一日を過ごすことになる。しっかりとプリンス・エドワード島の思い出を胸に刻み込んで欲しいと思っている。

2011年08月06日

プリンス・エドワード島での思い出

変換 ~ P1030752.jpg 変換 ~ P1030763.jpg 

  8月4日(木)、朝は気温が低く雲が立ち込めており、今にも雨が降り出しそうな天候。午前中は通常通りの英語のレッスンであるが、クラス毎にプリンス・エドワード島での思い出のまとめと午後のアクティビティーである乗馬に備えた説明が行なわれた。
  生徒達は2つのグループに分かれて話し合いながら、大きな紙に町の風景やホストファミリーの写真等を貼り付け、文字や絵を書き加えていた。
  昼にはケベック州や日本の九州から来ている生徒達と合同のロブスター・ランチパーティーが開かれた。一人ひとりの皿に20㎝を超えるロブスターが盛り付けられ、生徒達はあまりの大きさに驚いている様子であった。最初は気味悪く感じていた人もいたようだが、食べると日本の伊勢海老よりも濃厚な味が口いっぱいに広がり、「美味しい 美味しい」と言いながら豪華な昼食を楽しんでいたようだ。
  幸運なことに、午後からは心配していた天気もすっかり回復したため、アレンさんの運転するバスで移動し、本日の野外アクティビティーのビーチ遊びと乗馬体験を行なった。カベンディッシュ・ビーチでは生徒達は裸足になって波打ち際で元気に走り、水温が16度にもかかわらず海に飛び込む生徒もいて大いに海を満喫したようだ。また、乗馬は初めてという生徒もいたが、全員が注意を守って一列縦隊で馬の背で揺られながら牧場の周囲を楽しく闊歩し、乗馬体験も概ね問題なく終えることができた。
  時間の経つのは早いもので、プリンス・エドワード島での生活も残り少なくなってきた。生徒達がさまざまな体験を通じて充実した思い出に残る研修にしてくれることを心より願っている。

2011年08月05日

赤毛のアンAnne of Green Gable

変換 ~ P1030718.jpg 変換 ~ P1030733.jpg

  8月3日(水)、研修3日目になり、生徒達も少しずつペースがつかめてきたようである。
本日の午前中のプログラムは、英語のレッスンと並行してアイスクリーム作りとアイスクリーム・ソングの練習である。このアイスクリーム作りは赤毛のアンの物語の中に出てくる一場面であり、生徒達はアイスクリーム・ソングを聞きながら牛乳や砂糖、塩、バニラ、練乳、氷等のさまざまな材料を使ってアイスクリーム作りを行なった。出来上がったアイスクリームはソフトクリームのような食感であり、全員で美味しくいただいた。
  午後からは、ミュージカル「赤毛のアン」の鑑賞を行なった。毎年雲雀丘の研修生に対しては、特別扱いで前列の良い席を用意していただいているため迫力満点である。すべて英語なので生徒達にとっては十分に理解できるかどうか心配していたが、事前に日本語のビデオを見ていたり、本を読んでいる生徒も多く、十分堪能したようだ。また公演後、舞台裏を見せていただいたが、出演者全員が出迎えてくれ、生徒達は一緒に写真を撮ってもらって大いに感動していた。

  この『赤毛のアンAnne of Green Gables』は、プリンス・エドワード島で生まれたルーシー・モード・モンゴメリが自分自身の少女時代と重ね合わせて書き上げた物語で、1908年の初版発売以来、30カ国以上で翻訳され、世界中で親しまれるようになってきている。丁度前回訪問した3年前は記念すべき発刊100周年にあたっていたため、プリンス・エドワード・アイランド州として記念切手や記念コインを発行する等の企画がなされていたが、今回は特別の催しはないようである。
  モンゴメリは海沿いの農業を中心としたキャベンディッシュで幼年期、少女時代、青春時代、結婚後と島を離れてトロントに移るまで実に30年以上もこの島で過ごしていた。従って、アンが暮らす村のモデルになったキャベンディッシュ周辺には物語で描写された場所が何ヶ所も存在している。例えば、アンが孤児院から引き取られ、少女時代をすごした赤毛のアンのモデルとなった『グリーン・ゲイブルズ』には、モンゴメリは度々訪れていたし、元はモンゴメリのおばさんの家で現在もキャンベル家の人たちが暮らしているグリーン・ゲイブルズ博物館は、彼女の大のお気に入りで祖母の死後3ヵ月はここで過ごし、1911年には一階の客間でユーアン・マクドナルド牧師と結婚式をあげたことでも知られている。また、母が結核で亡くなり、祖父母に引き取られるまでの1年9ヵ月を過ごしたモンゴメリの生家やお墓もある。このようにモンゴメリーにとって、プリンス・エドワード島は精神的な故郷の地になっており、彼女の書いた20冊の小説のうち1冊を除いてはすべてこの島が舞台になっている。
  現存している実際の建物の見学やミュージカルの鑑賞を通じて赤毛のアンの物語の足跡を辿っていくのも実に味わい深いものがあるようだ。

2011年08月04日

サッカー・ゲームとグリーン・ゲイブルズへの訪問

変換 ~ P1030685.jpg 変換 ~ P1030696.jpg 

  8月2日(火)、昨日にひき続いて9時から2つのクラスに分かれて英語の授業が始まった。2年生と3年生を一緒にしてクラス分けをしたが、授業の内容が理解できず、必死になってついていこうとしている生徒も見受けられる。今回の研修プログラムは、概ね午前中が教室での授業、午後からはさまざまなアクティビティーという形式になっているが、本日に限っては1時間目終了後、地元の生徒のサッカーチームとの交流を行なうことになった。地元の生徒達は20名、本校の生徒は26名、総勢46名が4チームに分かれて、2つのグランドでそれぞれ試合を行なった。本校の生徒の中にはサッカー部員もおり、かなり盛り上がった試合になったようだ。そして試合後は一人ひとりにシャーロット・タウンの記念バッジをいただき、和やかなうちに交流会は終了した。
  その後、バスの中で昼食をとりながら、グリーンゲイブルズハウスを訪問する。これは赤毛のアンの家と呼ばれており、アンが孤児院から引き取られ、少女時代を過ごした「グリーン・ゲイブルズ」のモデルになった所である。家の周辺には、恋人の小径やお化けの森があり、アン・マリラ・マシュウの部屋、ダイニングルーム、パントリー等が当時のまま残されている。また、モンゴメリと夫のマクドナルドのお墓や郵便局の見学も行ない、ここで生徒達はそれぞれ日本へ葉書を送っていた。生徒達にとっては、海外での慣れないホームステイでの生活だが、つたない英語を駆使しながらコミュニケーションを活発に行なっており、心配はなさそうである。

2011年08月03日

シャーロットタウンの概要

変換 ~ P1030659.jpg 変換 ~ P1030660.jpg

  8月1日(月)朝、生徒たちはホームステイファミリーに送られて、元気に研修センターに到着し、早速研修がスタートしました。原則として、教室では日本語は使わないことになっているため、身振り手振りをまじえて必死に対話している姿は実にほほえましく感じられる。
  ホストファミリーによる手作りの昼食をとった後、午後からは市内探索(オリエンテーリング)に出かけた。
  今回生徒達がホームステイと語学研修を行なうシャーロットタウンはプリンス・エドワード・アイランド州の州都で島内の拠点となっている。 海抜 49メートルの周囲を海で囲まれたこの町は、人口わずか3万5千人強であるが、近年アジア系の住民の数が増加してきているようだ。特に、中国人の姿がよく見られる。
  この町の歴史を紐解くとイギリスがフランスに代わって覇権を握った1763年に、時のイギリス国王ジョージ3世の王妃シャーロットに因んで名付けられたが、両国間で永年にわたる確執が続いたようである。その後1864年にイギリス系の植民地から代表者が集まり、カナダ連邦成立に向けた討議、いわゆる最初の建国会議が開かれた『カナダ連邦発祥の地』としても有名である。 街を散策すると、ブロビンズ・ハウスやピークス・ワーク等当時を偲ぶ建物が今でも数多く残っている。3年前からの印象では、すべてのものが整備され、店舗の数も増えてきているように感じる。
  一方新しく建設されたグリーンハウスは、雨水の利用やソーラー発電が取り入れられている。このように環境に配慮された新旧の建物が見事に調和し、美しい街並みを形作っている。生徒達のホームステイ先は概して敷地が広く緑の芝生に囲まれている家が多いようである。 一口で言うと〝時間がゆったりと流れる心温まる優しい小さな町〟ということになるようだ。
  この町にはバスなどの公共交通機関がないためにホストファミリーが学校の送り迎えをしてくれることになっている。また、街では知らない人でも気さくに挨拶をかわしてくる。安全や衛生面でもほとんど心配する必要がなく、生徒達のホームステイ先としては、本当に適したところのように思われる。

2011年08月02日

プリンス・エドワード島に到着 

変換 ~ P1030612.jpg 変換 ~ P1030618.jpg

  7月31日(日)5時半(日本時間18時半)にモーニングコール、6時30分に専用バスで空港に向かう。機体の整備遅れのため、予定時間を約1時間オーバーして10時にシャーロットタウンに向けて出発した。そして、12時過ぎにこの研修旅行の中心となるホームステイと語学研修を行なうプリンス・エドワード島に到着した。トロントとの時差が1時間あるため、丁度日本とは12時間遅れとなり、完全に昼と夜が入れ替わることになる。
  空港にはヘレンさんやアレンさん他多数のスタッフの皆さんが出迎えに来てくれていた。アレンさんの運転で空港から約20分で、スタディー・アブロードの教室に着く。その後、ピザの昼食を取った後、早速オリエンテーションが開催された。生徒達は昨日までの観光気分はすっかり影をひそめ緊張気味である。研修のスケジュールやシャーロットタウンの説明が終わる頃、ホストファミリーが次々と集合し、お互いに紹介された後それぞれの家に向かっていった。いよいよ明日からは本格的な語学研修のスタートである。

  今回の宿泊地であるプリンス・エドワード島は セントローレンス湾に浮かぶちいさな島で、面積は四国の愛媛県ほどである。先住民族であるミックマック族からは「アベグウェイト(波の上の揺りかご)」と呼ばれていたようである。歴史を紐解くと、1543年にフランスの探検家であるジャック・カルティエによって発見され、アカディアの一部としてのフランス領時代には「サンジャン島」と呼ばれていたが、その後英仏間の7年戦争でイギリスが、この島を占領し「セント・ジョン島」と呼ばれていた。この時代にはアカディア人の大規模追放がなされるなどの民族間対立もあったようである。更に1798年、ジョージ3世の第4王子で当時ハリファックスに駐在していたケント公エドワードに因んで『プリンス・エドワード島』と呼ばれるようになり、今日に至っている。
  また、この島が属するプリンス・エドワード・アイランド州は、面積が5660平方キロメートル、人口は約14万人でカナダの州の中では最小である。主要な産業はロブスター漁とジャガイモの生産、それに赤毛のアンの発祥の地としての観光業である。住民は都会のような忙しい時間を持たず、ゆったりと過ごしているようである。

2011年08月01日

水の日にあたって

14.jpg

  早いもので、8月に入りました。梅雨が明けて夏本番となる8月は年間を通じて、最も水の使用量が多い時期です。国はこの時期に水に関する行事を実施することで、水資源の有限性、水の貴重さ及び水資源開発の重要性について国民の関心を高め理解を深めるために、1977年(昭和52年)5月31日の閣議了解により、8月1日を「水の日(みずのひ)」とし、続く1週間を「水の週間」と定めました。
  水は地球上のあらゆる生物にとって欠かすことができない大切なものであり、私達の日々の暮らしや農業、工業等の産業活動を支える重要な資源です。しかし、今、世界の人口が急増する一方で、地球温暖化による気候変動によって世界中で水不足が深刻な状況になってきています。
 日本は世界でも有数の多雨地域にあるため、年間の降水量は世界平均の約2倍あります。そのため、水は豊富にあると思われがちですが、1人当たりでは半分以下、しかも国土が狭いため降った雨は短時間で海に流失します。しかも水がめとなる大きな湖も少なく、中長期的に見れば渇水のリスクが高まってきています。また、河川や湖沼の水質悪化といった問題も起こってきています。
 更に、日本人が心に留めておかなければならないのは、〝日本は水の輸入国〟ということです。何故なら、カロリーベースでは、実に60%の食料を海外から輸入しているからです。小麦やトウモロコシ、大豆、牛肉等には生産国での大量の水が使用されているのです。
  最近は限りある水を有効に利用するために、雨水や下水を処理した再生水を利用するといった取り組みも増えてきています。本校も新校舎には雨水を利用した『屋上緑化』を採用していますし、新たな雨水利用の取り組みも検討中です。
これからは水を大切に使う社会を構築していくことが必要になってきます。この水の週間を機に、一人ひとりが〝水の大切さを知り、節水する〟という意識を持って行動していって欲しいと思っています。