本日、快晴のもと第50回雲雀丘学園高等学校卒業式が行われました。
3年間の充実した学園生活を終え、卒業生も感慨深かったことと思います。
卒業式最後には担任の胴上げもあり、とてもよい卒業式でした。
卒業式で読まれた第50期卒業生代表の「答辞」を掲載させていただきます。
【 50期卒業生 答辞 】
平成の幕開けとともに誕生した私たちは、平成十七年春、雲雀丘学園高等学校に入学しました。見知らぬ顔も見慣れた顔も、どことなくバラバラに感じられたあの日から三年、この学園の中で、私たちは語りきれないほどの思い出を得て、今、強い絆で結ばれ、この卒業式を迎えることができました。
個々の役割を考えて行動すれば、一つにまとまるはずなのに、行事を迎えるごとに必ず繰り返される葛藤。いつもどこかで怒り、涙、困惑、あきれ顔がありました。でも、なぜか最後には必ず得られる完成した喜びと終わりを迎えることへの何ともいえない寂しさ。こうしてみんな一つのことに向かっていくことの難しさを学び、成長してきました。
普段の学校生活では自由気ままに廊下で野球・笑顔でごまかす未提出・教科書よりも読書に集中、一線は守るかわいい悪さをして、怒られながらも要領よくやってこられました。でも、それは守られていた世界の中でのことであって、解放された世界では通用することではありません。
私たち五十期生には人を受け入れ、許し、認め合う優しさがあります。でも、それを自分にもあてはめて自分に厳しくできない甘さもあります。自分で決断したことを自分で実行する。誰かに教えられて進むより、多少時間がかかっても自分で気付いて先に進むべきです。今、奮い起こさなくてはならないのは自立しようという気持ちです。我慢できずに諦めたり、楽な方向へ進んでしまう甘さからの卒業です。
私たちは十八年間何度となくくじけてきました。でも、これからは思い出してほしい、普通に学校に来て、普通に授業を受けて、普通に部活をして、ただ、あたりまえのように流れていく時間の中でのどんなささいなこともひとりでやり遂げたのではないということを。どれだけ多くの支えがあったかということを。私たちは感謝の気持を忘れてはならないのです。その気持ちが消えなければ頑張ろうという気持ちも消えない。そしてそれは自分の成長につながると私は思うのです。
今の社会は、目の前の数字にこだわるあまり、私たちの生活をおびやかす様々な偽装など、安全性を問われる問題を抱えています。まだ自覚はありませんが、私たちはまちがいなくこの平成社会を支えていかなくてはならない存在です。今日で私たちは互いに離れていってしまいますが、これからも同じ気持ちで頑張っていきましょう。
学校に通わせてくださった保護者の方に、あたたかく見守ってくださった先生方に、何より同じ空間を過ごしてきた友に、最後に心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。
【ありがとうございました】(全員で)
これを答辞といたします。
平成二十年二月二十日
雲雀丘学園高等学校
第五十回卒業生代表