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2009年02月25日

進路ホームルーム

本日のLHRで進研模試(1月)の結果に基づいて、志望大学に対する目標偏差値と今の自分の偏差値の差を計算したり、目標点との得点差を計算したりして、目標となる大学が適切なのか? このままの成績で大丈夫なのか考える機会を持ちました。 進路希望調査票と1月の進研模試の反省は提出することになっています。1回1回の模試をしっかりとゴルフの一打一打のように刻んでいき、3年生になった時に自分の目指すグリーンにのっているように、大切なmilestones (一里塚)として活用して欲しいと願っています。何事であれ、高処を目指して努力することが人間として美しく生きるということだと考えます。次の進研模試は2年の7月ですが、この間の努力を期待します。

2009年02月24日

後期期末考査の時間割

期末考査の時間割を載せておきますね。
3月3日(火)1限 数Ⅰ 2限 世界史 3限 漢文(30分)
   4日(水)1限 化学 2限 現代文 3限 OC(G組はなし)
   5日(木)1限 生物(ただしA~F組は30分) 2限 古文 3限 保健
   6日(金)1限 地理 2限 英語演習 3限 物理
   7日(土)1限 数A  2限 英語Ⅰ
2日(月)は午前中授業です。7日は1時より学年懇談会を行います。(2時半終了予定)
学年懇談会の出欠票の提出をお願いします。合わせてPTA総会を欠席される方は委任状をよろしくお願いします。

 

人権映画のお知らせ

今年の人権映画についてのプリントを本日配布していますのでごらんください。今年は「おくりびと」を見ます。とても楽しみです。昨日アカデミー賞を受賞したばかりです。保護者の方もぜひご一緒にごらん頂いたらと思います。日本人の死生観を改めて実感出来たらと思っています。

2009年02月23日

仮校舎の学校生活始まる!

 今日より、仮校舎の生活が本格的に始まりました。かってが違う面もあり、不便さもあると思います。 期末考査も1週間後に迫る中で、勉強に集中して、有意義なスタートにして欲しいと願っています。それとともに、古い校舎とのお別れ、卒業生が別れを惜しんでいるのが印象的です。新しい校舎とともに歴史が思い出が薄れていくとしたら、悲しいことですが、たくさんの方が愛しているこの雲雀丘学園の良さを世界遺産ではないとしても、雲雀遺産としてその心を、残していって欲しいと願っています。 古い校舎と、新しい校舎と経験できるのは今の高校1年生です。私たちが受け継いで、渡していく”たすき”はいったいどんなものでしょうか。それぞれの心で感じて欲しいと思います。

2009年02月21日

さすが

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旧校舎から仮校舎へ ― さすがに,人数が多いと引越も早く済む。30分少々で完了した。主のいなくなった教室はすぐさま黒板が外され,廊下にあったロッカーその他も全部なくなった。一瞬にして人の気配が消えた。

 逆に,仮校舎の方は,まさに,満杯状態。あちこちで声がし,賑やかだ。勝手の違いにやや戸惑っている風でもあるが,そのうち慣れて静かになるだろう。

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旧校舎。1954年完成。3階建てで,鉄枠の窓だったようだ。当時としては大変スマート(今風にいえばクール)で,この地らしい校舎だった。落成にあたり,1954年6月5日号「ひばり」に板倉操平初代校長は「なせばなる」と題して以下の文を寄せている。

fig2009_2_21.jpg「雲雀丘の松の緑にはえて,白亜の三階の校舎が,そびえ立って居る。之れぞ吾等の新校舎,待望の殿堂が落成したのである。五月一日移転,此所に学ぶ吾々の悦びは云ふべき言葉もない。只に悦んで居るだけではすまぬ。立派な外観に恥ぢぬ内容の充実こそ,吾々に課せられた任務である。今や,先生も生徒も,此の自覚をしっかりと,心に固めなくてはならぬ時と思う。(中略)此の学園の伸展は自然になったのではない。学園内外関係者の血のにじむ努力によって,ならしめたのである。
なせばなる,なさねばならぬ,なることを,ならぬと云ふは,なさぬなりなり
『不可能』と云う語は,ナポレオンの辞書には無いと云う様な,おゝそれなことを云うのではない。吾々で出来ること,平凡な小いことを,一つ一つ真面目の態度でやりぬいて行く,地味に足下を固めていく,小を積んで,大となす。過去はそうであった,今後もそうなくてはならぬ。そして今から五年さきを見て下さいと各がしっかりと,覚悟することである。
 果たして其れが期待出来るか,私はやり得るという自信を持つ。五月以降一ヶ月間,新校舎移転後の掃除,運動場の整備を学業を廃することなしに,あの一週間で兎に角一応ものにした。あの態度,あの熱意で貫きとおせば事は必ず成る。吾々は不可能を可能にするのでない,只なることをするのである。」

2009年02月19日

な~んもなくなっちゃった

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解体中の旧2階科学教室(化学教室)を覗いた。壁は剥がされ,天井は剥き出しになっていた。長いこと勤めているが,天井裏を見るのは初めてだ。もっとごちゃごちゃしているものだと思っていたが,意外に何もないものだ。
 床には外された天井や壁の残骸が積まれていた。当然,実験台や実験器具は仮校舎に移動して既にない。窓や電灯はまだ取り払っていないが,そのうち,それらも跡形なくなくなる。この教室からどんどん人の気配が薄れていくのを感じた。

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しかし,写っている男のシルエット,絵になるねぇ・・・m(_ _)m

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【配布したもの】「学年懇談会のご案内」:出欠をお知らせください。
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2009年02月18日

新しい知見を求めて

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2009_02_18.jpg アメリカの証券会社の倒産に端を発した世界的不況は,日本に深刻な影響を及ぼしている。この状況がいつまで続くのか,先の見えない不安ばかりが募る。そんな中,アメリカで初の黒人大統領が誕生し,大きな歴史の転換を見ることができた。
 なぜ,アメリカは彼を選んだのだろう?演説の巧さは同じ黒人指導者マーティン・ルーサー・キング牧師以来と評判であるが,それだけではなかろう。
 この二人に共通するのは,どちらも知識の裏付けがしっかりしていることである。オバマ大統領はハーバード大のロースクール(法科大学院)を優れた成績で終了し,法学博士号を取得している。キング牧師も当初,法学部を目指していたが,ボストン大学神学部で博士号をとっている。二人とも,カリスマ性だけで人を動かしたのではないのだ。
 唐突すぎる結論かもしれないが,アメリカが彼等について行ったのは,きちっとした知識を持ったしっかり者だからだ。結局のところ,なんだかんだといっても,人々が選ぶ最後はそこに落ち着く。勉強は財産になるんだ。

 折角の高大連携,大きなチャンスと捉え,自分の財産を殖やして欲しい。
【配布物】 大阪大学高大連携講座あんない

2009年02月17日

高校B入試及びテスト2週間前

本日は高校B入試が行われていました。受験生は文化館視聴覚教室での受験のため,皆さんは通常授業です。本校の入試もこれで最後です。ほんとうにあっという間に時が経っていきます。そして今日で学年末考査まであと2週間となりました。どの科目も本年最後ということで内容的にもかなり難しくなっています。ぎりぎりの勉強では到底間に合いませんよ。計画的に学習を始めましょう。
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特に配布物はありません。明日のLHRは講堂で行います。
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2009年02月16日

あれから僕たちは何かを信じてこれたかな

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2009_02_16.jpgあれから200日。百日の祝いに沸いた感動も,さすがに今日は冷静でした。恒例のクラッカーもちょっと拍子抜けな感じでしたね。やっぱり二番煎じは・・・・ダメか。
【配布したもの】
1.PTA総会のお知らせ
2.本日の英単語大テストの成績票

2009年02月14日

春の嵐と高校校舎の涙!?

 昨日は午後から雨が降り始め、夜には強い風を伴って、時ならぬ春の嵐となりました。黄砂も到来し、春が一歩ずつ着実に近付いていることが感じられます。しかし、大変なこともありました。1年B組の教室が雨漏りで水浸しに!担任の松石先生曰く、「あと一週間で取り壊される高校校舎の最後の涙かなあ…」。でも、後始末は大変。何とか一時間目の授業を迎えることができました。季節の移ろいを感じながら、人と人との繋がりを大切にし、日々を過ごすという当たり前のことが一番だということを今更ながら感じます。では、経済の話の最終回を…。

 21世紀初頭、百年ぶりといわれる世界的大不況が吹き荒れる現在に立ってポランニーが指摘した市場主義経済の問題点を顧みるとき、その指摘がいかに的確であったかを、改めて確認することができる。彼の指摘は、全くの的外れであり、いにしえに対する無批判な懐古主義に過ぎないと切り捨てる経済学者もいる。しかし、現在世界中の全ての国で起こっているといってもよい失業者の増大は、まさに労働の商品化の結果に他ならない。では、なぜ我々の経済は失敗したのか、どうすればその失敗を取り戻すことができるのであろうか。
 ポランニーは、経済には二つの意味があることを示したが、さらに市場経済化する前の社会に対する研究から、「市場化により効率よく機能する経済領域」と「市場化そぐわない経済領域」が存在することを明確にした。その両者を混同せず、社会の中で「経済とは違う原理=政治や地域社会」がその境界を明確に見極め、後者を「市場化の嵐」から守ることこそが重要である。古代や無文字社会においては、そうしたことが無意識に行われていたことをポランニーはその研究によって描き出したのである。それがまさに「経済を社会に埋め込む」ということに他ならないといえよう。
 少なくとも第二次世界大戦後に、その反省の下で成立したブレトン・ウッズ体制の理想を受けて、国家は国民の権利と財産を守り、教育や福祉を充実させた時期があった。しかし、ここ20年ほどの間に、アメリカの一国偽善主義の影響下で、日本のみならず、全世界で、教育や文化・医療・福祉といった、本来は市場経済原理とは無関係であるべきものが、「市場化」・「商品化」の危機にさらされ、崩壊の危機に瀕している。
 アダム・スミスは、『国富論』の中で市場主義経済は「見えざる手」によって、調整されると説いたが、それは「自由放任」を許容したということではない。一方で、スミスは『道徳感情論』の中で、人間には賢明な選択と欲を求めようとする利的な意識が同居し、後者が経済の発展を促す原動力となっているが、経済が調整を行う根底には、人間としての「同感」があることを述べている。つまり、スミスは野放図な経済の暴走は、まさに人間同士の繋がりの意識によって止められるということを指摘しているのだ。そして、これは、ポランニーが指摘した「経済が社会に埋め込まれている」状態と同じことを示していると言えないだろうか。
 日本の一流企業と呼ばれていた大企業にも、減益・減収の嵐が吹き荒れ、非正規労働者のみならず、正社員の解雇までが報道されている。なぜ、このような事態を迎えたのであろうか。ここ20年ほどの間に、日本の企業も、やれグローバリズムだ、イノベーションだと、アメリカ発のハイリスク、ハイリターンのマネーゲームに巻き込まれていった。その結果、一流であったはずの日本の大企業が、その創業者達が掲げた理念を忘れ、業績は一流でも、行動は三流になってしまったというのは、言い過ぎであろうか。日本には、江戸時代以降、石田梅岩の心学、二宮尊徳の報徳仕法、内村鑑三の「経済道徳論」など、優れた経済思想が存在している。今一度自分の足元を見直して、改革は何でも正しいという一方向的な思考を改め、不易と流行を見極めることをゆっくりと考えてみてはどうだろうか。
 
 「経済」が「社会」を支配する時代は、終わりを告げた。「人間」が「経済」を取り戻すときが来たのだ。これからも、「効率」や「成果主義」がすべて正しいといった単細胞な論理に流されず、雲雀丘学園が60年にわたって営々と育んできた、良い意味で余裕をもった豊かな教育を続けていくことこそが、大切だといえるだろう。

 【連絡】月曜日は、英単語大テストです。合格点目指して頑張りましょう。高一で身につけた単語の基礎力が、受験にも大きな役割を果たします。

2009年02月13日

自宅学習日あけの授業

自宅学習日は有意義にすごせたでしょうか。あっという間に2月も中旬に入り,高校1年生として過ごすのもあとわずかです。まもなく英単語大テストもありますから,気を抜かずがんばりましょう。
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配布物はありません。各クラスに「1日医者体験」のポスターを掲示しました。医学部志望の人,検討中の人もポスターに目を通してみてください。希望者は各担任まで!
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2009年02月11日

ちょっと難しい経済の話 その3

 今日は「建国記念の日」という祝日ですが、本校では昨日の高校入試A日程の入試会議とその結果の発送作業がありました。また、経済の話の続きをご覧下さい。

 さらに、1980年代末のソ連崩壊により東西冷戦が終焉すると、世界はアメリカ合衆国一国のみが超大国として君臨する新しい段階を迎えた。それは、インターネットに代表される情報化と新自由主義、そしてグローバリゼーションという名の“アメリカ化”に他ならなかった。世界は一端崩壊した自由主義のイデオロギーを復活させかに見えたが、それは、同じ顔つきをした全くの別物であった。
 新自由主義は、経済に対する国家の一定の規制を認めたケインズ主義を駆逐し、国家の政策においては「個人の自由を尊重する」=「個人の責任を重視する」という視点から、教育や福祉の予算を削減する一方で、経済の発展のみが国家の発展であるかのように、各国が規制緩和を掲げて競い合って市場を開放、株式市場は投機マネーが大量に流入し、かつての「自由放任」よりもさらに悪化した市場経済が現出した。ここにおいて、国際経済における「ブレトン・ウッズ体制」の理想は、放棄されたといっても過言ではない。さらに、事態を悪化させたのは、この間に急速に進展した情報化のもとで一気に加速したグローバリゼーションにより、一国の経済は、国際経済の変動の波に否応なく翻弄されることとなった。多国籍企業が跳梁跋扈し、一部の経済学者によって“グローバル・カジノ”と呼ばれる世界的な投機ゲームが象徴するように、「悪魔の碾き臼」は国や地域という枠組みを超えて巨大化してしまった。グローバルカジノ化の大きな原因に、金融工学とゲーム理論の応用がある。サブプライムローンの破綻もまさにその悪しき賜物である。金融工学とは、様々な債権などを組み合わせて、それに色々な要因に関わる係数を掛けて、よりリスクが少なくなるように分散して「金融商品」を創り出して投資するという、いわば“情報化社会の鬼子”であった。ファンドと呼ばれるいわば“賭け事師”に世界中の「形式的経済」によって生み出されたあぶく銭が集まり、世界中の人々の生活の根底を覆すかも知れない、危険なカジノを楽しんでいたのである。しかし、人間の営む現実世界は、どれほど性能の良いコンピューターでも解析ができないほど複雑で、偶然に満ちている。サブプライムローンの破綻によって、世界経済が総崩れになったことは図らずもそのことを証明することとなったのである。金融工学やゲーム理論という化け物が、世界中を破壊し尽くしていたときに、我々はやっとその現実に気付いたのだが、それらを制御できなかった政治、特にアメリカの責任はあまりにも重い。
 このグローバル・カジノ現象は、「形式的経済」=「社会から断絶した経済」の典型例であるといえよう。今、野放図なグローバル・カジノの崩壊によってアメリカの経済はあっけなく破綻し、それが世界中の「実体的経済」を容赦なく蹂躙している。BRICsなどの新興国の成長の下で我が世の春を謳歌していた世界は、わずか半年の間に奈落の底に突き落とされてしまった。

2009年02月10日

ちょっと難しい経済の話 その2

今日は、高校入試A日程でした。現在午後10時前ですが、まだ作業は続いています。
 さて、昨日の経済の話も続いていきます。

 ポランニーは第二次世界大戦後、古代社会や無文字文化社会の経済を研究対象とし、そこに人間の社会と経済の正しい姿を見出そうとした。古代バビロニアやアフリカのダホメ王国などの分析を通じて、本来人間社会に普遍的に存在していた「非市場経済」が、社会に埋め込まれた仕組みとしてどのように経済活動を営んでいたかを彼は描き出している。
 彼は経済的(economic)という言葉には二つの意味があるという。一つは人間の手段と選択をめぐる合理性に関連する形式的意味、つまり単に必要なものを理由の如何を問わず、相手が誰であろうと金銭によって手に入れるという、市場経済における「消費」という行為そのものである。そしてもう一つは、人間が生を営む限り必要となる物質の代謝に関連する実体的・実在的意味である。形式的意味は市場経済のみに存在する。しかし、人間の経済における本質的・普遍的なものは、実体的意味である。この二つの意味を区別せず用いていることに、市場社会の矛盾が解決されない一因があるともいえる。
 ポランニーの一生をかけた研究課題は、市場社会の出現によって社会から突出してしまった「経済をいかにして社会に再び埋め戻すか」ということだった。彼の遺稿集の題名は、『The Livelihood of Man』である。「Livelihood」とは「日々の暮らし」・「生活」を意味する卑近的ともいえる言葉であり、「市場社会ではなく、人間の生の営みにこそ経済の本質がある」という、彼のたどり着いた思いをこの題名は示しているのだとも考えることができる。
 彼の死後、20世紀後半の資本主義経済は、高度経済成長と大衆社会の展開という、彼の考察が一見間違っていたかに見える状況を生み出した。それは、国際通貨基金と世界銀行が主導するブレトン・ウッズ体制の理想が曲がりなりにも機能していたからかも知れない。その理想とは「金儲けのみを志向する企業家や投資家の利益のためではなく、雇用・所得・社会事業など国民の利益のために、政府が通貨政策や税政策を通じて資本のコントロールを行う必要がある」というものである。しかし、現実にそこに存在したのは本当の意味での自由主義経済ではなく、資本至上主義というべきより悪化した姿で世界を席巻し、人間の本質を破壊する「悪魔の碾き臼」は別の形で破壊力をますます増大化させた。

2009年02月09日

ちょっと難しい経済の話

 明日から3日間は、高校入試A日程とその選考会議等で生徒は休校です。今年はたくさんの受験生が本校を希望していますが、その背景には昨年の夏以降の世界的な不況も少なからず影響しているのではないかと考えられます。さて、今日は世界経済について考えてみるために、私がここ数ヶ月その著書を読んでいるカール・ポランニーに関する少し難しい経済の話を書いてみました。高一の生徒諸君は、休みの間に世界経済について少しでも考えてみましょう。

 カール・ポランニー(KarlPolanyi,1886~1964)は、オーストリアのウィーンに生まれ、大学時代をハンガリーで過ごし、亡命先のルーマニアからイギリスからアメリカを経て、1964年にカナダで没した。彼は、経済学者であると共に経済人類学者として紹介されることも多い。ポランニーは、“異端の経済学者”と呼ばれる。それは、彼の研究テーマが約200年にわたる近代経済学が前提としてきた枠組みに真っ向から疑問を呈するものであったからである。
 近代経済学の研究対象である市場経済の自己調整システムが全盛期を迎えたのは、19世紀のヨーロッパにおいてであった。しかし、それはマルクスが『資本論』で記録したように、過酷な労働を強いられる下層労働者と、膨大な植民地の犠牲に依拠したものであり、市場が人間=社会に従属させるという市場経済の矛盾の上に成り立っていた。ポランニーは、市場経済によって人間が蹂躙される状況を「悪魔の碾き臼」という例えで表現している。
 そうした状況に対してポランニーは、マリノフスキーらの人類学研究の影響を受け、市場主義経済に新しい位置付けを与えた。それは、市場社会が登場する近代以前の社会では、経済は本来は「社会に埋め込まれていた」システムであり、市場経済のように経済が社会を従属させる「社会から突出した経済」は全くのフィクションに過ぎず、人類にとってはごく新しい、特殊なものであるということであった。さらに、市場経済では、本来商品化されることにそぐわない「労働」・「土地」・「お金」が擬制的商品として流通しており、このことが市場経済が社会を従属させている大きな原因であると考えた。「労働」とは「人間の生活の一部そのもの」であり、「土地」とは「人間が暮らすまさにその場所」であり、「お金」とは「本来価値を持たないもの」である、という至極当然の指摘であった。
 19世紀には市場メカニズムに対する不可侵が自由主義思想の基本であった。しかし、市場の破壊的側面を、自由放任であるはずの市場は、社会の要請によって規制を要請され、世界の方向性はその間をめぐって揺れ動いていたのである。
 20世紀初頭にいたると、「市場は自己調整によって維持される」という神話は崩壊し、社会主義国家ソ連の計画経済、世界大恐慌下でのアメリカのニューディール政策、ドイツやイタリア・日本というファシズム国家の出現という様々な状況が現れた。これらは、いずれも市場経済の矛盾に対する、「神の見えざる手」ではなく、「自由放任」を捨てた人間社会の側からの対応策であったといえよう。 (続く)

配布物:入試休みの間の自習用プリント(現文・古文)                                                   

2009年02月07日

少し落ち着きました

 高1でもインフルエンザがかなり流行っていましたが、現在ではその数もかなり減りました。しかし、まだまだ安心はできませんので、「手洗い」「うがい」はしっかりとして、予防に努めましょう。自分で健康管理ができるかどうかということも生活面においては大切です。

 来週の月曜日は45分×7時限の短縮授業です。その後、高校入試準備があります。

配布物: ありません
 

2009年02月05日

今後の予定

今日はG組において,パワーアップゼミはありません。今後の予定をあげておきます。
9日(月)入試準備のため45分×7限授業
10~12日高校入試,入試業務のため,休校(自宅学習日)
17日(火)高校B入試ですが通常授業です。(パワーアップゼミ,サテラインはあり)ただし,放課後のクラブ活動はできません。
20日(金)高校卒業式(高1は休校です)
21日(土)仮校舎へ荷物の移動
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配布物は特にありません
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2009年02月04日

高校朝礼及び1限のLHR

本日は高校の朝礼でした。校長先生より昨日の節分についてのお話を頂きました。また1限のLHRは多目的ホールにて修学旅行について旅行会社の方に来ていただいて説明をしていただきました。高校2年生の6月に修学旅行(北海道)に行きますので,まだ早いようにも思えますが,ただ皆さんが2年生になったとき5月には体育大会などがあり,時間を取る機会がそれほどありません。ですので少しでもイメージをしてもらえたらと思います。また行程表で確認してみてください。
まだまだインフルエンザがはやっています。油断せずに!
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修学旅行の行程表を配布しました。今日の説明をもとにイメージをふくらませてくださいね!
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2009年02月03日

節分

 今日の放課後は皆さんの無病息災を願って、豆まきをしました。誰かが鬼になって、みんなで鬼に豆を投げるのではなく、正式な(?)豆まきのやり方です。神主さんがみんなに向けて、「鬼は外!福は内!」と言いながら豆を投げるやりかたです。各クラス、1kg の豆!
 クラスによって、やり方はいろいろだったようですが、楽しんでもらえたようです。豆をまいたあとは、自分の年齢に1つ足した数だけ豆を食べました。あとの掃除が大変でしたが、当番の人たちがきれいに掃除をしてくれたので、元通りの教室になりました。
 明日からまた元気に過ごしましょう。