6年前の京大生
今日で3月も終わりです。明日から新しい年度が始まります。それぞれの人がそれぞれの場所で、新しい1年の出発を迎えます。本校を卒業した生徒達も大学をはじめ、それぞれが雲雀丘の外の世界での生活を始めます。
今年の卒業生達も、素晴らしい受験結果を残してくれました。昨年に引き続き、京都大学に合格者が出ました。昨年も京都大学に合格者が出ましたが、今日は6年前に京都大学に合格した生徒のことを紹介したいと思います。
四年制大学を卒業した学年ならば、卒業して丸6年、この春で就職3年目を迎える学年に当たるその生徒は、私のクラスの女子生徒でした。看護師志望で硬い意志をもって勉強に励んでいました。現在もそうですが、その当時も優秀な理系女子の進路志望として、看護師は極めて人気が高く、かなりの難関でした。本人の許可を得ているので、少し詳しく書きますが、その生徒も市立の四年制・短大、専門学校までたくさん受験したのですが、なかなか本番で実力が発揮できないタイプで、次々に不合格の結果がかえってきました。もう浪人止むなしかと、私も半ば諦めていたのですが、彼女は望みを棄てていませんでした。「先生、まだ京大が残っています」という力強い言葉。当時京都大学には医学部附属の医療技術短期大学部が併設されていました。彼女はそこにも出願していたのです。しかし、かなりの難関であることはいうまでもない。「先生、私、化学を伸ばすために行きたいところがあるんです。かまわないでしょうか?」「いったいどこ?」「校長先生のところです。」「ご本人が許可してくださるならば、いいけれど…。お仕事に差し支えのない範囲でね。」当時の安田泰弘校長先生は、化学のご専門でした。彼女の申し出を快く引き受けてくださいました。それから彼女は、時間があると校長室に押しかけ、校長先生も非常に熱心にご指導下さいました。そして、国公立の発表の日、彼女は本命中の本命に最後の最後に見事合格したのです。
私は、この時に彼女のがんばりに感激したと共に、安田校長先生の教師としての力に、改めて心からの敬意を抱きました。先生は、国立の進学校で長い間化学の教鞭を執られ、受験指導でも一流の実力を持っておられたのです。だからこそ、正直なところ合格はかなり厳しいと思われた生徒を成功に導いて下さることができたのでしょう。
先月、毀される高校校舎へのお別れを兼ねて、その学年の同窓会が開かれました。その彼女は、私のクラスの幹事として、準備はもちろん当日は受付として活躍をしてくれました。その合間に話しをしていると、彼女は今でも安田先生への感謝を忘れていないといいます。彼女は今、京大医学部付属病院の看護師として立派に日々の仕事を務めています。彼女に会うたびに、同じ教師として素晴らしい校長先生であった安田先生の温顔が思い浮かぶのです。彼女も私も、またどこかで先生とお会いできる日を楽しみにしています。