本校のインターアクトクラブ部員9名と明石西高校インターアクトクラブ部員11名と引率4名の合計24名で、南三陸町に向けてバスで出発しました。出発直前に、前回参加した先輩にアドヴァイスをいただきました。
12月24日(火)
午後6時に雲雀丘を出発したバスは、夕食のため大津で停車した後、東北に向かって進み続けました。2時間ごとの休憩と運転手交代を繰り返して新潟に入ったころには、皆さんすっかり熟睡していました。朝に明るくなり始めた頃に仙台に入り、前回訪問した塩竃、石巻を通過しました。中心部でもまだまだ復興の終わっていない箇所が目につきましたが、目的地に向かって進むにつれて、被災後そのままの状態の割合が増えていくように感じました。南三陸町に入ると、復興工事中の箇所もありましたが更地や野原の状態がほとんででした。津波で骨組みだけになった南三陸町防災対策庁舎と、屋上に逃げた多くの人々の命を救った高野会館がぽつりとたっていました。
12月25日(水)
バスの中で朝食のパンを頂いた後、仮設住宅内の集会所にお邪魔しました。午後にクリスマス会を予定しています。自治会長の畠山さんが準備・協力してくださいました。
今回のクリスマス会に向けて明石西、雲雀丘の両校でそれぞれ準備をしてきたので、打ち合わせをしながらの準備となりました。お互い初対面のメンバーも多かったのですが、イベントに向けて一致団結しました。
能勢酒造の柚子サイダーとジンジャーエール 手作りのしおりとお菓子やケーキ
午後のクリスマス会には仮設住宅のみなさん約30人以上が参加いただき、ゲームやクイズなどをしながら交流することができました。参加していただいたご年配の方からお子様まで明るい笑顔のおかげで、みんなの緊張も一気に解けました。またクリスマス会のあと、チューリップの植樹を行いました。現地のみなさんと一緒に、神戸から持参したプランターに球根を植えました。春には芽を出して花が咲くことを楽しみにしています。
ここ南三陸町の歌津地区にある平成の森・仮設住宅は、元々グラウンドだった場所に建てられました。震災後2年半以上になりますが、まだ約200世帯の方々が生活されています。社会福祉協議会や自治会の方々が活発に活動しておられて、お互い仲良く協力しながら生活されている様子が感じられました。今回の訪問でも、みなさんとても温かく受け入れてくださり、本当にありがとうございました。
仮設住宅のエリアには、自治会の集会所や町役場の出張所や福祉センターなどの施設があります。また、気軽に誰でも立ち寄れる喫茶「あづまーれ」があり、朝からたくさんの人が集まり交流されていました。とても自治意識の高い方々が、地域コミュニティーを大切にしながら生活されている様子です。
夕方前には、全世帯にお邪魔しながらお米を配りました。このお米は明石西インターアクトクラブのみなさんが地元の水田で育てられた大切なお米です。中には時間をとってお話しをしていただいた住民の方々もおられ、地域の方々と接する貴重な経験になりました。
夕方から自治会長の畠山さんのお話を伺う機会を設けていただきました。震災当時の写真や映像を交えながら体験談をしていただきました。この南三陸では死者500名以上、行方不明の方々を合わせると800名にもなるそうです。戦前の明治三陸大津波、昭和三陸大津波では大きな被害を受けた地域です。しかし戦後の1960年のチリ地震では、この歌津地区では大きな被害もなく、東日本大震災の前年のチリ地震でも小さな津波だったので、実際には津波警報に対しても警戒心が低くなっていた人々もいただろうというお話でした。
そして現時点での課題や将来の展望についてもお話ししてくださいました。3年目になる仮設住宅ですが、防災集合移転の計画が議会決定されたばかりで、実現するにはさらに2年以上かかると予想されています。