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我が受験の頃(3)

 中学受験から始まって職員採用試験まで数々の受験をしてきたが、わたしは中学入試を除いてはいつも周囲の予想を裏切って、ラッキーだと言われる。というのも、例えば模試の判定で言えば、第一志望はいつもCかDのレベルでしかなかったのだ。
 中学入試は失敗した。前日まで自信をを持っていたのに、問題が配られたとたん頭が真っ白になった。頭蓋骨の中に上質な脳みそが詰まっている実感が消えて、ただ沸騰した愚鈍な液体がぼこぼこと湯気を噴き上げてる感じ。冷静であればできるはずの、算数の文章題の答が確かめをするたびにちがってしまう。国語の長文も、読んでも読んでも頭にはいらない。結局、周囲の期待を見事に裏切って、不合格。
 ショックだった。いったい自分はどうしてしまったのだ。でも、そのショックを人に知られるのはかっこわるいと思った。で、合格発表をみた帰りに母親と寿司屋に入って、実は味もわからない状態で、それでも平静を装って巻きずしを食べていたら、「悔しくないのか」と言われた。わたしは生まれて初めて殺意のようなものを感じた。そして落ちた自分を呪った。
 あの中学受験の時の精神状態を「上がっている」とか「緊張しすぎ」というのだろう。大切なのは集中することであって、緊張することではない。緊張しすぎることは集中を妨げ、普段の力を封じ込めてしまう。高校受験を経た頃になってわたしはそのことを実感としてわかるようになった。
 もう十年以上前になるだろうか、わたしはミュージカル「ラ・マンチャの騎士」の楽屋へ、今は亡き上月晃さんを訪ねたことがある。楽屋へ通じる通路でテノールの、故友竹正則さんが舌をぺろぺろ出しながら「ア、エ、ア、エ、アー」と歩き回っている。開演15分前のことである。体の力を抜いているのだ。最高の喉の状態で歌えるように本番前に緊張を解き集中を高めていく儀式のようなものである。 舞台でも、またスポーツでも、優れた人々はみな集中を最高度に高める方法を身につけていると聞く。
 入試でも集中することは大切だ。そしてミスや錯覚をゼロにすれば、普段同等の実力を持つ相手には勝てる。また、それまでの模試ではC判定であってもB判定の相手に最後の最後で勝つことも集中の仕方しだいで可能なのだ。
 だから本番はおもしろい。
(田畑保行)