ご卒業おめでとうございます。振り返ってみて、雲雀丘学園の生活はいかがでしたか。多くのみなさんが、よかったなと思っていることを願います。
卒業して、これから先のことを考えると、いろいろ不安もあると思いますが、先のことは誰にもわかりません。前を向いて、今できることを精一杯して、歩んでいってほしいと思います。そしていつか振り返ってみたときに、これでよかったと思えると良いですね。
みなさんの未来が幸せいっぱいでありますように。
井阪優子
卒業おめでとう!
56期生のみなさん、卒業おめでとうございます。
3つのコース制になってはじめての生徒であるみなさんは
頑張ろうという気負いも、同時にとまどいもあった学年だと
思います。残念ながら、教科のほうでは全くかかわることの
なかった私ですが、昨日の卒業式でもその成長が充分感じられました。
「人間到る所青山あり」
雲雀を卒業して、それぞれの道にすすまれることでしょうが
高校時代を忘れずに、自分の道を切り拓いてください。
佐藤美子
ご卒業おめでとうございます。
若い力のすばらしさは今年のオリンピックでも証明されました。
君たちも世界を舞台にそれぞれの道で力を尽くして下さい。
希望に満ちた前途に栄光あれと祈ります。
長塚英治
「知天命」
「I was born」は確かに受身形で、私たちが生まれるということは、自分の意志ではないのかもしれません。この受身形で不本意な生をどこで自分の主体的な生として引き受るのか、それが人生の一つの要点なのかもしれません。
我が身を振り返れば、いくつかの偶然と巡り合わせで国語教師の職についたのが20代半ば、いささか不本意でもありました。しかし、家族のこともあり、この仕事しかないと思い定めたのが40才、多くの人、生徒たちとの出会い、学びの中で、教師としての醍醐味と社会に対する役割も自覚でき、この職こそがわが天職であると思い至ったのは50才の時です。そう、「三十而立、四十而不惑、五十而知天命」(『論語』学而編)です。不本意が本意に転じ、私が自分の生を引き受けたのはこの時なのかもしれません。長い時間がかかったものです。
あなたたちのこれから歩む道には、予期しない、不本意なことも出来(しゅったい)してくるでしょうが、その不本意を自分のこととして引き受け、多くの人と「学び」との出会いを経験する中で、その不本意が本意になるときがきっとあります。偶然が必然になるというのはそういうことだと思います。
不本意 必ずしも不幸ならずり、何ぞ本意に転ぜざらんや
私の餞(はなむけ)の言葉です。 守本 進
アンパンマンの歌詞に「何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!」
自分がこの世に存在することの意味をさがし続ける人生ですが、あなたにしかできないことが必ずあります。その答えは、この歌詞のあとに続く歌詞の中に書かれています。
「今を生きることで 熱いこころ燃える だから君は行くんだ微笑んで。」
一瞬に過ぎていく今を生きてください。笑顔を忘れずに。
卒業おめでとうございます。
和田 由起子