こんな本を読んだ・追記
第1回「こんな本を読んだ」に登場してくれた中井先生、読後に思い出した15年前の心残りを少しだけ晴らしてもらいました。
中井先生の「いのちの授業」 (プチ)
デスエデュケーション(「死」とその周辺で起こることを考え、学ぶ教育)とは、「死」を見つめることを通して「生」を考える教育といわれています。通り魔事件などのひどい事件が起きると「いのちの教育」が注目され、命の尊さを教えなければならないと声高に叫ばれます。
しかし、死別の悲しみは、ひどい事件に限らず、世の中の至る所にあります。本書・前書きの中で筆者は『「死」をタブーにしてしまうのではなく、「死」について開かれた対話をしていくことが、私たちの社会を住みやすいものに、多くの人にとって「生きていてよかったな」と思える社会に変えていく原動力になる・・・・』と述べています。
私たちの死生観は、経験に影響を受け年齢とともに変化すると思います。また、地理を含めた私の授業のテーマでもある「豊かさとは何か」にも、「いのち」は大きく関係しています。
倫理の授業で、世の中に正しいものはあるか。カントの批判哲学、道徳法則を説明するときに「いのち」の話をしていました。「絶対にこれが正しい」とは言い切れない問題、これをこの本を手掛かりに深く考えてみてください。
「死」というテーマは扱いにくく、考えるのも無駄だという意見もあると思います。
しかし、私たちのこれからの生き方として、「これをすれば得、こんなことをしていては損」という価値観だけではなく、あるがままを受け入れ、失敗さえも自分のものにするという考え方が必要だと思います。
究極的には、「私たちにとって無駄なものなど何もない」はずです。もし、今までそう考えて、私たちが捨ててきたものがあるとすれば、その価値をもう一度、吟味し一つ一つ拾い集めて大切にしなくてはなりません。「無駄だと思っていたことも大切にする」こと、合理的に進めてきたことをこれからは疑うことも重要です。
本書の後半に「勝ち組」「負け組」をテーマに論じられています。やはり、市場原理とは切り離して考えなければならないことが多くあるはずです。不合理を愛し、無駄をも大切にする時間を持つことが必要なのかもしれません。
私自身、目の前の損得にとらわれており、無駄をも大切にするなんてことはとても難しいと実感します。しかし、人生の中で感動・対話・読書・思索し、残された時間の中で少しでもそれを意識することができればと思います。
*文中の本書とは、前回紹介した「高校生のための『いのち』の授業」です