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 我々の歴史の背景にはいろいろな金属が関わっている。古くは武器として,また権威の証として,様々な金属が使われ,我々の時代を作ってきた。現代においてもそうである。ビルや鉄道,車,船舶など,鉄やアルミニウムが豊富に作られてこそであり,加えて,チタンやジルコニウムなど新しい素材の材質として欠かせない金属も登場してきている。
 だが,地歴科・理科に限らず,どの授業においても金属は単体から始まる。おおかた,金属鉱石の採掘現場について深く考察することはない。たとえ,その話をしたとしても,おそらく今の子供たちには想像できないであろう。考えてみれば,我々の生きている物質世界はそういう原材料の採掘・採取からはじまっているのである。それを支えている人々がいなければ,我々の生活は成り立たないのである。
 今回,生野銀山に行くに当たって,生徒たちにはその点を説明したが,ボランティアの方のガイドによりうまく伝わったように思う。また,生徒たちも,ボランティアの方の説明に一つ一つ反応し,その度ごとに驚き,感心し,当時を想像していたように思う。傍で見ていて嬉しかったです。

1.ジャン・フランソワ・コワニエ像の前で
IMG_2009_10_24.jpg ガイドするボランティアの方は通常は一人なんだでそうですが,(株)シルバー生野さんが私達のために3人に増員していただけました。そのうちのお一人,上田さんがフランス人技師ジャン・フランソワ・コワニエ像の前で説明を始めました。
「明治政府は,生野の銀山を特に重要視していて,フランスからわざわざ技師を連れてきたんですよ。それがこの人,ジャン・フランソワ・コワニエ。いい?わざわざフランスからよ?」
生徒「・・・・・・・・・」 
上田さん「あのね,どれだけ政府は重要だと思っていたか,払った給料を聞いたらびっくりするよ。なんと800円!800円よ!」
「・・・・・・・・・」
「わかる?」
「ん・・・・・わかんな~い!」
「じゃあね,その当時の米1俵がだいたい1円70銭,今の値段で言うと約18000円ぐらい。だから,何倍したらいい?」
「10000!」
「そう!賢いね。だから,今のお金で言うと800万円!1年目でだよ。そんな額,今の人でもらえる?」
「えぇ~!すご~い!」
「初代の総理大臣誰だった?」
「伊藤博文!」
「おっ,さすがだね。その伊藤博文でさえ300円しかもらってない時代だよ」
「おおぉ~」「へぇ~」
「で,この人は10年後に帰ってしまうんだけど,そのときの退職金が1200円だったそうだ。そう,1200万円だ。10年働いただけで1200万円もらって帰ったんだよ。」
「わぁ~,すご~い!」
上田さんの乗せ方もうまいけど,聞いてる生徒も上手に乗せていた・・・・?ほんと,傍でそのやりとりを聞いてて思わず吹いてしまいました。
*ジャン・フランソワ・コワニエ  明治初年着任し,軌道や巻揚機の新設などフランス流の採掘方法を導入し銀山を近代化していった。

2.坑道内
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生野銀山は807年に開坑されて以来,昭和48年(1973年)に閉山するまで,その間掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達する。現在,一般開放されているのはそのごく一部約1000mだけであるが,江戸時代から近代までの採掘法の変化を見ることができる。
「坑道の中は,どうしても空気が薄いから,このふいごを使って,外の空気を送るんです。ふいごってわかる?」
「わかんな~い」
「そうだよね,わかんないよね。そうね,手動式の扇風機みたいなモノかなぁ。」
「あっ,そうなんや。」
「わかった? 嬢ちゃん,えらいねぇ。」
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「この小さな穴はね,狸堀と言ってね,江戸時代,人がノミとカナヅチだけで掘っていった後なんですよ。一日30cmずつぐらい掘り進んだそうです。」
「へぇ~」「ふ~ん」
「こういう穴が至る所にたくさんあるんですが,現在はほとんど放置していて,中がどうなっているのかわかっていません。だれかこの穴に入ってみたい人います?」
「はぁ~い!行ってみた~い!」
「そう,でもね,コウモリがたくさん出てくるそうですよ。」
「いゃ~ん」

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続きはまた明日・・・・・・・・・・・