« 干支にまつわる話(Ⅲ) | メイン | 授業始め式にあたって »

新国民歌「われら愛す」と雲雀丘学園

われら愛す

  昨年の暮れに、文化庁主催芸術祭の受賞者が掲載され、大衆芸能部門は歌手の石川さゆりさん、テレビ部門はドラマ「点と線」が大賞を受賞したことが掲載されていました。そして、ラジオ部門の大賞が、山形放送のドキュメント「われら愛す~国歌・国民歌についての考察」に決まったことが載っておりました。
このラジオ番組の制作には、本校の放送部も取材協力をしましたが、実は取りあげている内容は、本学園と縁の深い作品なのです。
  「われら愛す」とは、1953年にサントリーの前身である壽屋が、「国民の誰もが愛唱し勇気づけられる歌を」と全国公募し、作詞に約5万点、作曲に約3千点の応募の中から西条八十や山田耕筰らの審査で選ばれた「新国民歌」です。この歌は、当時東京の日比谷公会堂や宝塚歌劇でも発表されましたが、数年後にはほとんど聞かれなくなってしまったのです。
  雲雀丘学園では、壽屋の創業者である鳥井信治郎氏が初代理事長だったこともあり、初めの頃歌われ、さらに運動会の際に踊られてさえいたのです。しかし1980年頃には本学園からも姿を消してしまいました。2000年の学園創立50周年記念式典の際卒業生が「われら愛す」を演奏し、それをきっかけとして本校放送部が取材を始め、今でも歌い続けている岐阜大学附属中学へも訪問して制作したラジオドキュメント「われら愛す」が2001年の県高校放送コンテストで1位になり、NHK杯全国高校放送コンテストに出品されました。
  この曲の作詞者である芳賀秀次郎氏が山形に住んでおられたため取材を始めた山形放送から、本校に「われら愛す」に関する問い合わせがあり、放送部顧問が資料を送ったり、インタビューも受けたりした作品が、初めに挙げた芸術祭大賞受賞の山形放送のラジオ番組というわけです。
一つの歌にまつわるさまざまな思いがあり、それらを本校放送部から顧問を通して山形放送へとラジオ番組として伝えていった、このリレーに感動すると共に、山形放送のスタッフの皆さんに改めて敬意を表します。