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ハイチでの大地震

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 1月12日午後4時53分(現地時間)にハイチ共和国で発生した大地震から1週間が経過しました。依然としてハイチ当局でも被害状況が十分に把握できないようで、死者は現時点で確認されただけでも7万人を超え、一説によると20万人に達するのではないかと言われています。今回の地震の震源はハイチの首都ポルトープランスの西南西約15km、深さは10km、マグニチュードは7.0と推定されています。この地域は、バハマ諸島を乗せた北アメリカプレートとハイチを含むヒスパニョーラ島やキューバを乗せたカリブプレートが衝突している北ヒスパニョーラ海溝の南側にあたっており、プレート境界であるため、これまで地震活動は活発ではあるが、直下型地震の発生はあまり多くない地域だと言われていました。
  国連安全保障理事会は、国連ハイチ安定化派遣団に兵士2000人と治安要員1500人の増派を決定しましたが、救援物資が十分にゆきわたらないということもあって、治安の悪化等憂慮すべき事態が起きているようです。日本もユニセフ協会や日本赤十字社による義援金の募集を開始し、国際緊急援助隊医療チームの首都ポルトープランスの近郊レオガンの看護学校への派遣等を行なっています。私もこれといった救援活動はできませんので、家族と共に心ばかりの協力をさせていただくことにしました。
  ハイチ共和国は日本ではあまり知られていませんが、国土は27,750平方キロメートルで丁度四国と九州の中間程度の面積です。人口は961万人(2007年時点)、人種的にはアフリカ系(約9割)、その他混血、言語はフランス語、クレオール語(共に公用語)となっています。かつてハイチは世界で最高品質の砂糖を生産するフランスの植民地でした。そして、あまり知られていませんが、過酷な支配に反対して立ち上がった黒人奴隷の反乱が発展して、1804年に中南米で最初の独立国になったという輝かしい歴史を持っています。しかし、20世紀に入ると砂糖産業からの利益を狙った米国の支配が強まり、1934年まで米国の保護国として軍事占領下におかれていました。その後、1957年からは米国の支援を受けたデュバリエ独裁政権が86年まで続きましたが、政局が安定せず経済的には最貧国となっています。その中で今回の大地震が発生したのです。一日も早い復興を心より祈っています。
  私達もこのような災害にいつ遭遇するかも分かりませんが、命の大切さを知り、お互いに助け合って生きていきたいものです。