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山は海の恋人~卒業式の式辞から

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  本校では人間教育の大きな柱として〝環境活動〟に注力しています。しかし、校長が直接生徒に語りかけたり、指導する機会は限られています。そのため、本校に赴任以来、心がけてきたことは、朝の登校指導を通じての凡事徹底と全校朝礼です。そして、この一年間中学校の全校朝礼では環境と東日本大震災に関する話題を中心に話をしてきました。
  今回の卒業式の式辞も、この二つに関連するエピソードとして、牡蠣の養殖に命がけで取り組んでおられる『畠山重篤』さんを取り上げました。
  〝畠山さんは東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼で、お父さんの代から牡蠣の養殖業を営んでいます。この仕事に就いたのは一九六一(昭和三十六)年、水産高校を卒業した十八歳の時でした。当時、気仙沼の海では、ウナギは捕れるし、貝や魚の種類も豊富で、雨が降れば海苔は豊作となるなど海の恵みは豊かでした。
  ところが、数年後のある日、牡蠣を卸している東京の市場から「牡蠣の身が真っ赤になってしまって売りものにならない」と連絡を受けました。赤潮が発生したのです。赤潮というのはプランクトンの大量発生で海が真っ赤になるという現象です。牡蠣は、海水を吸うことで呼吸をし、海水に含まれる植物プランクトンを漉(こ)して栄養にしています。大体一日にドラム缶一~二本分、つまり二百~四百リットルもの海水を吸って生きていますが、牡蠣が赤潮を吸ったためにそのようなことが起こったのです。そして、この状態が長く続いたため牡蠣の養殖の仕事を辞めてしまった仲間もたくさんいました。でも、畠山さんはとにかく海が好きだったから、何とか続けたいと思いました。赤潮が発生するのは、端的に言えば海が汚れてしまっているということです。海の仕事を続けるためには、海を美しくする以外に方法はありません。しかし、それには海だけを見ているのではなく、陸を見なくては駄目だ、ということに気づきました。昔から海苔の生育は雨の量に左右され、海に流れ込む川の水が増えると良い海苔が採れるということから、川の水に影響されているということが経験的に分かっていました。そこで、陸の方に目を向けると、水産物を加工する工場や家庭からの排水が海に垂れ流しになっています。また、農業で使用する除草剤や化学肥料などが川に流れ込んでいます。更に水源地である山が非常に荒れていることが分かりました。昔は広葉樹の雑木林が圧倒的に多かったはずの森が、戦後の植林計画によって杉ばかりになっています。しかも間伐などの手入れもされていない山が多いために、太陽の光が入らず下草が育っていません。そのため雨が降ると、あっという間に泥水が川に流れ出し、その濁った川の水が海へと流れ込んでいたのです。
  これらを目の当たりにして、畠山さんは、海、川、森を何とかしなくてはならないと思いましたが、どこから手をつけたらよいのか全く分かりませんでした。その時には既に四十五歳になっていましたが〝できることから始めよう〟という思いで、気仙沼の海を見下ろす室根山にある村の村長さんのところに出向きました。そして「海の恵みは山から流れてくる栄養のお陰です」と感謝の気持ちを伝えたのです。すると、この言葉を聞いた村長さんからは、「我々はこれまで山を大事にしてきたが、下流の村からは〝川の水を汚すな〟と言われたことはあっても、〝ありがとう〟と言われたことはなかった。今日は歴史的な日だ。」と喜んでいただいたのです。この反響は実に大きく、一九八九(平成元)年に植林祭というイベントを実施することになったのです。
  そして、このイベントの名前は〝海は森に支えられている〟ということから「森は海の恋人植林祭」ということになりました。しかし、植林を一回やったくらいでは海の環境は変わりません。この運動を続けることに意味があるということです。川の流域に暮らしている人たちと、牡蠣を作っている漁師とが、価値観を共有しなければいけないということで、その後も毎年この植林活動を続けてきました。すると、以前は大量に生息していたにもかかわらず、海の汚れと共に姿を消していた多くの魚が戻ってきました。そして、今では美しい水にしか住まないシラスウナギの姿も見かけられるようになってきたのです。森からはミネラルを含んだ豊富な栄養分が川に流れ、更にこれらを含んだ水が川から海に流れ込みます。海では、この栄養分を植物プランクトンが食べて、光合成をし、酸素を出します。その植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、更にこれを魚が食べるという食物連鎖の良い循環が生まれてきました。
そして、気仙沼の港には日本全国から多くの漁船が訪れ・活気が溢れていました。
  ところが、こうした中で昨年三月、東日本大震災が発生したのです。この地震による大津波で事務所や船、養殖イカダなどの施設が跡形もなく流されてしまいました。そして、畠山さんの最愛のお母さんも大津波の犠牲になりました。立ち上がれそうにない大きな被害を受けた気仙沼の海の民は、生きるのに精一杯で、その年の植樹祭を諦めていました。しかし、「こんな時だからこそ震災で亡くなられた方々の鎮魂と、復興を祈念する植樹祭を開催しましょう、私たちがすべて準備をしますからお客さんとして来て下さい」と語ってくれたのが、大川の上流にある室根町の山の民の皆さんでした。そして、大震災からまだ三か月も経っていない六月五日、まだ多くの行方不明者の捜索活動が行われ、被災地域への救援活動が昼夜を徹して行われている中で、植樹祭が開催されたのです。幸い天候にも恵まれて、全国から実に千二百人もの人々が集いました。
  この後、畠山さんは全国の人達に次のようなメッセージを送っています。
  「森は海の恋人植樹祭を支えてくださっている全国の皆様、心より御礼を申し上げます。今回の植樹祭では参加された一人ひとりが祈りを込めて苗木を植えてくれました。こんなに熱い心が込められた植樹祭は、世界でも初めてではなかったでしょうか。今回の大地震と巨大津波により、甚大な被害が発生しましたが、海の生産力には変わりはありません。何年かかるか分かりませんが、養殖場を復活させようと息子達と話し合っています。全国の皆さん、どうか見守っていて下さい。」
  そして、現在「森は海の恋人緊急支援の会」が設立され、義援金の募集が行われています。また、牡蠣が出荷できるまでには約三年の歳月が必要なため、牡蠣の生産者はこの間の収入がありません。そのため、今、三陸牡蠣復興支援プロジェクトが発足し、復興牡蠣のオーナー募集運動がスタートしています。このスローガンは〝踏み出す一歩、支える手、分かち合う勇気がそこにある〟というものです。
  この畠山さんのエピソードはさまざまな大切なことを私達に語りかけてくれます。大きな目標を達成するための高い志。感謝の気持ち。継続するという強い思い。困難を乗り越えていこうとする気概。互いに助け合う思いやりの心。などです。
  これからの皆さんの人生は平坦な道ばかりではなく、険しい山もあれば深い谷もあると思います。
しかし、どのような時にもこれらを避けるのではなく積極果敢に挑戦し、人生を切り拓いていってください。そして、将来人のため世の中のために役立つ人間になってくれることを心より願っています。〟