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観見二つの目付

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 「眼の付け様は、大きに広く付るなり。観見の二つあり、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専なり。」宮本武蔵の「五輪の書」に出てくる一節です。
 「観」は表面上に見える現象などではなく、その奥に潜むものを観るとして、相手の心の動きなどを感じる、心を見るのではなく聞くという言葉が使われたりします。「見」は表面上に表れた動き、相手の動作などを見る時に使われます。そして、「見」の目をよわくして、「観」の目を強くする必要があるとしています。
 目の前に現れた動きや現象には目を奪われて、その奥に隠れているものや法則性を見ることができない時がよくあります。サッカーで、ある方向にパスを出すふりをし、つられて相手がその方向に動いた際に、逆の方向にパスを出すフェイントと呼ばれるものが、典型的な例としてあげられます。大きな動作だけでなく、予測される目線とは違う方向にパスをだす、目線を利用したノールックパスなどもあります。
 目に見える現象面だけに目を奪われてはいけないのは、スポーツの世界だけではありません。森や樹木の減少が水や土砂災害に関係していること、夏の風物詩である蛍が少なくなってきたのは、川の水質の問題であること、などよく知られていることです。
 ところで、最近、都会ですずめやツバメが少なくなってきたといわれています。逆に、兵庫県や北海道では、鹿が増えているといわれています。これらの背景に何があるのか、「見」の目よわく、「観」の目を強くする必要があるような気がします。
 兵法の極意の一つとして書かれたものですが、それに留まらず、現在にも「観見二つの目付」が必要だと思います。