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無用の用

 『老子』には「埴をうちて以て器を為る。その無に当たりて器の用有り(粘土をこねて器を作る。器の中にある空間は一見無用に見えるが、その空間があるから器が作れるのだ)」とあり、『荘子』には「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり(人はみんな明らかに役立つものの価値は知っているが、無用に見えるものが人生において真に役立つものだとは知らない)」とあります。「無用の用」です。
 学校で学ぶ全ての科目を、人生でこのように役に立つとか、生き方にこのように関連すると明確に意味付けすることは難しいと思います。だからといって、学ぶ必要がないということにはならないと思います。しかし、こと受験に関していえば無用だからやらないということになりがちです。私立大学受験対策として、受験に必要とされる3科目だけで週に30時間ほどあてるコース設定をしているところもあったりします。徹底した「無用の排除」です。気持ちはわからない訳では無いですが、果たしてこれで良いのでしょうか。「無用の排除」という考え方は、何が無用で、その判断を誰がするのか、またその判断が正しいのかという問題が出てきます。可能性を広げる思考ではなく、狭めていく思考だといえます。
 本校は学校改革の第2ステージに入り、全てのコースを国公立対応型のカリキュラムにしました。言い換えれば、どのコースも全ての科目を学習するということです。受験のためのコース制から「人間教育」のためのコース制への移行、と私は呼んでいます。受験にこそ、役に立たないように見えるものが、かえって役に立つことがある、「無用の用」が大切なのではないでしょうか。