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キャリア教育(その3)

「働く」って何だろう? 

 来春卒業予定の大学生の就職内定率(10月1日現在)は前年を2.3ポイント上回る68.1%で、3年連続の改善となったそうです。調査を始めた97年春以来、3番目の高水準。
 高校生の場合は、求人数が約28万5千人で、前年比同期21%増の大幅な伸び。内定率(9月末現在)も4年連続で改善し、48.4%と5割に迫ったようです。(厚生労働、文科省両省のまとめ)
 このような「景気回復」のかけ声の中、某大学のHPに就職活動をする在学生対象に「フリーターやニートになっては人生台無し」などと就職担当の方が鼓舞する意図で掲載されたものが、外部からの指摘で削除されたとありました。(朝日新聞11月29日)


 現代の若者を「ニート・ひきこもり・不登校」と否定的にひとまとめに語られることも少なくありません。「働く」って何だろう─── 原点にもどって考えることが、「キャリア教育」にあたって大切だと考えています。次の文章は「仕事と暮らしが日本人の芸術だ」と語る中沢新一氏の談からの引用です。

 「労働」という言葉は西欧では「Labor」、聖書では「苦役」を意味します。エデンの園で、労働する状態にいたのに、そこから出て行かざるを得なくなった。罪を犯したために、人間は働いて罪を償わなければならなくなった。欧米では仕事に対して償いや罪といった暗い意識がつきまといます。労働はもともと苦役なんです。
 しかし、レヴィ=ストロース(フランスの人類学者)は、日本においてはまったくそれが感じられないと言うのです。彼は、人形作り、焼き物、塗りなどいろいろな職人に会い話を聞いていますが、誰もが「仕事をすること自体が楽しく、うれしい」と語ることに大きな驚きを感じています。仕事で何かの成果が表れてくるというのは、果物が実るのを見るようなものだから、とみんなが口をそろえる。小さな町工場のおじさんたちまで、そう語ったと。
 その観察は正しいと私は思います。日本人にとっては、農民から職人、町工場の技術やさんからサラリーマンまで、働くことは一種の自己実現であり、創造なんですね。心の奥底にそういう労働観が存在しています。
 近代になると、目標達成のために懸命に働く産業労働が入ってきたけれど、それでも日本人自身は欧米人が感じるほど労働が苦役ではない。自分たちのことをワーカーホリックなどとは思ってもいないでしょう。
 近代産業が入ってくる以前の江戸時代では、人々の労働時間は1日4~5時間ほど。職人たちは自分に与えられたポジションで全力を投入して自分を実現しようとし、そのことがうれしかったから、下駄の職人なら下駄を彫りながら喜びを感じていたのです。芸術家として仏像を彫るのではなくて、下駄が仏様だと思って心を込めて彫る。それが生きる喜びに成り得るわけですね。現代人は、近代の労働観に縛られているところがありますが、でも、根本には古い精神層が生きていて、簡単に消えないと思います。
 日本人はいま、労働観も含めて根本的なものの考えを作り直していかなければならない時期に差し掛かっています。そのためには、日本人の自然な心性に残っている原型に戻ってみなければならないでしょう。