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君に送るエール

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あきやま じん 昭和21年10月12日生 東京都出身。東京理科大学理学部応用数学科卒、上智大学大学院数学専攻修士課程終了。米国ミシガン大学数学科客員研究員、ベル研究所非常勤科学コンサルタント、東京理科大学数学科教授等を経て、 現在、東海大学教育開発研究所教授。日本テレビ「世界一受けたい授業」等にも出演している。

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 私は10年くらい前まで駿台で講師をしていました。予備校というと高校や大学に比べて教育の補助機関的な感覚で見られがちですが、国内をはじめ世界の数十カ国で講演をしてきた私の体験を踏まえてみても、一番真剣勝負で教えたのではないかと思っています。それは教え手も習い手も本気だったから実現できたことだと思います。
 その他、世界各地で行った講義の中で印象に残っているのは中国の大学です。1980年代に教えた時の中国の学生は素晴らしく熱心でした。英語で専門の数学の講義をするのですが、大学1年生がそれを殆んどすべて理解するのです。日本とは大分、状況が違うので「何か特別な英語の訓練をしたのか」と質問すると「私たちは高校で3年も英語を勉強したんだから、できるのは当たり前です」と答えが返ってきます。そして私が貸した専門書を、学生たちは手分けをして一晩で書き写し、自主セミナーを行うという、熱心さです。そんな志の高い学生たちでしたので、教師も自ずと力が入りました。

 志を高く持つ、というと札幌農学校の初代教頭となったクラーク先生を思い出します。彼は当時アメリカのマサチユーセッツの農科大学の学長をしていました。その頃札幌では新たに農学校を作ることになり、今後の日本の農業を発展させるためには人材、特に若者たちを育てることだと考えました。そこでクラーク先生の評判を聞いて日本国政府は招聘の手紙を書きました。クラーク先生は学長の職にありながら、その熱意に動かされて来日してくれたのです。当時の農学校では15~18歳くらいの若者たちが学んでいました。開拓間もない北海道は土地が肥沃ではないし、暮らしも貧乏だし、たいして頭も良くないし、さりとて他の特技もない。彼らは自分の将来に不安を感じていました。

 そんな学生たちとクラーク先生は寝食をともにしながら「君たちは何ゆえにこの世に生を受けたのか。将来、何を成すべきか」 こういう哲学的なことを日々、問い掛けたそうです。最初のうちは戸惑っていた学生たちも、そのうちクラーク先生の熱意に影響されて「この世に生を受けた以上、世のため人のためになることをしなくてはいけない」と思うようになり、頑張りはじめたそうです。そしていざ帰国することになった時も先生は「一緒に過ごした日々を忘れることなく初志を貫徹してほしい。そのためにはひたすら努力することです。先生や親の助けがあったとしても、最終的には自分自身、自分の意志と努力、踏ん張りによって人生を作るのです」と激励したそうです。見送る学生たちに向かって最後に言ったのが有名な「Boys,be ambitious!」という言葉です。クラーク先生は「本気になって自分のやりたいことや夢に向かって邁進しなさい」と言いたかったのではないかと思います。その言葉を胸に、残された学生たちはさらに頑張りました。国際連盟でユネスコの基礎を作った新渡戸稲造、全国に日曜学校を作った内村鑑三、北海道帝国大学付属植物園の初代園長で植物学者として世界的な業績をあげた宮部金吾などが、クラーク先生の思想を受け継いだ学生です。彼らは決して、いわゆる「偏差値の高い」というタイプの学生ではなかったけれど、自分の目標を決めて、努力の方法をしっかり体得して花開いたんです。若者の数だけ夢があり、夢の数だけ輝かしい将来がある、明日がある。そう信じていたのです。才能は努力とともについてくるのです。生まれ落ちた時に神様から授かった才能を持っている人もいるかもしれませんが、100万人のうちの99万9999人はそんなものは持っていません。だから努力をしなければ落ちていくし、努力すればそれなりにちょっとずつ良くなる。人生とはそういうものなんです。

 皆さんも、これから何をしたいのか、その「人生の第一志望は断じて譲らない」とい気持ちを持ち続けて欲しいと思います。その第一志望は大学の第一志望という小さなことではなく、自分は人生のスパンでやりたいことを必ず成し遂げる、という強い思いであって欲しいと思います。(つづく)

「駿台『ADVANCE FUTURE』秋山仁先生激励メッセージ」から