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仕事と暮らしが日本人の芸術だ(1)

中沢新一が語る仕事

なかざわ・しんいち●思想家・人類学者。1950年生まれ。多摩美術大学芸術人類学研究所所長、同大美術学部芸術学科教授。著書に「カイエ・ソパージュ」全5巻〈講談社選書メチエ/「対称性人類学」で小林秀雄賞受賞〉、「精霊の王」(講談社)、「アースダイバー」(講談社)/桑原武夫学芸賞受賞)、「チベットのモーツァルト」(講談社学術文庫/サントリー学芸賞受賞)、「フィロソフィア・ヤポニカ」(集英社/伊藤整文学賞受賞)、「芸術人類学」(みすず書房〉など多数。

お互い相手を支配しない生き方

20070111.jpg 極東の日本は、東アジアでキリスト教の布教が成功しなかった数少ない国です。韓国やフィリピンのように、多くの国民がキリスト教を受け入れた国々と何が異なるのかと言えば、日本人が長年かけて培ってきた独特の自然観にあると思います。だから、キリスト教の根底にある、自然を戦うべき相手ととらえるような考え方を受け入れられなかったのです。
 きれいな風景、自然との間に一種のネゴシエーションを行って、自然や動植物と共にある環境を作って私たちの祖先は生きてきた。人間が自然を制するというような、相手を支配する思想が日本人にはそぐわなかったのだと思います。私の家庭はクリスチャンでしたが、キリスト教には子供の頃から違和感があって、日本人には合わないと感じていました。それは自然を支配するという考えに何か暗いものを直感していたからでしょう。
 自然を支配し産業を加速するという方向で先進国が走ってきた結果、地球全体の環境問題が発生してきました。日本人はこの問題に立ち向かっていける思想を、歴史的時間をかけて育んできました。日本人がずっと抱いてきた自然への思想からしか、答えは生まれてこない。その日本人本来の思想を取り戻す大きな芽として、ニートは生まれるべくして生まれてきたとは考えられないでしょうか。産業と教育の落ちこぼれというネガティブなとらえ方は、何か大切なものを見落としていると私は思います。

主張しないものに耳を傾ける思想

 エコロジーが一つの大きな産業として確立してきましたが、そういう時代に日本人の思想のバックボーンとなってきたものが重要な意味を持つようになるでしょう。自然とネゴシエーションしながら生きるからこそ成立する暮らし。自己主張をしない自然に耳を傾ける姿勢。これは弱いものや、人間の外にあって自分を主張しないものたちの言い分を聞く思想です。
 私のゼミでは、学生たちの心を縛っている思い込みを取っ払う試みを続けていますが、そうすると彼らの心に何が現れてくるのか。困ったことに学生たちはニートに近くなります(笑い)。大学で政策学や国際関係論を学んだ後に農業を目指したり。最近でも、企業に入ってコンピューターをやるより醸造をやりたいと、ぶどう酒の醸造会社に就職する学生がいます。ぶどうが発酵してぶどう酒に変わる複雑なプロセスが興味深いという。
 学生時代にメキシコのインディオと暮らしてきた教え子は新聞社に入社しましたが、どうやらまだ浮いている(笑い)。おそらく40歳くらいになったら彼もすごい力を発揮するようになるでしょう。今はまだ、社会のほうがニートの生かし方をわからない状態なのです。

(朝日新聞(11月27日付)「STAGE」から)