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仕事と暮らしが日本人の芸術だ(2)

感覚を生かす働き方で次へ

20070111.jpg 日本のモノ作りには、合理的なシステムだけでは説明できない要素が含まれていると思います。例えば芸術的要素の一つとして「コツ」を挙げることができますが、はっきりと言葉で伝えられない不合理な部分を持っていて、現在の自動車や家電品にも、その感覚的な日本人の仕事ぶりがうかがえます。  面白い例がかつての戦闘機「零戦」です。終戦後にアメリカ軍がその細部まで解析しようと試みたのですが、どうしても非合理な部分があり、解析作業が暗礁に乗り上げてしまったそうです。その時にアメリカの大学院生で西陣織の研究をしていた学生が「これは西陣織のシステムである」と気づいて、零戦の持つシステムが氷解したと伝えられています。  日本の先端的なモノ作りの中にはこのような要素が組み込んであるのですが、これは日本の秘法に近い能力ではないでしょうか。伝達することが大変に難しいですから、日本企業が海外の生産工場でこの「コツ」を導入して、例えその国でまねされても、最終的に新しい製品に生かすところまで取り込むことはできないかもしれません。  例えば、土を相手にして人間の手で作り上げる焼き物なども、土という自然と折り合いながら、日本人の「コツ」で素晴らしい器を作ってきたわけですね。頭で考える合理的なシステムでは生まれない。日本人の芸術とは、有用性のモノ作りで実践してきた極意そのものではないでしょうか。

農業でよみがえる日本人の仕事への実感

 自然と触れ合いたい、動物や植物とのやり取りをしたいというのが日本人の文化的精神的DNAですが、現代の日本では都市生活が中心です。私たちの世代はまだ、外の世界と触れ合うために旅に出るという方法がありましたが、今のようにメディアも交通機関も発達してしまったら、どこへ行っても同じですし、出合うものも聴く音楽も同じですね。会社も均一化してきていますから、堂々巡りではないでしょうか。  その閉じた状況から外へ出るために、私は農業が有効ではないかと考えてきました。学生たちを山形の田んぽへ連れて行って田植えをさせると、最初は足元の泥に悲鳴をあげていますが、都会育ちの彼らでも1時間ほどすると腰が据わってくるのです。お百姓さんたちが「ああ、おめえら日本人だなあ」と言いますよ(笑い)。田植えや稲刈りのあとは直会(なおらい)という宴(うたげ)も楽しみます。若い人たちは農業の中で目覚める感覚がたくさんあるのだろうと思います。  不合理を取り込んで仕事の極意に高める日本人にとって、その要素を切り捨てるヨーロッパの合理的労働観は殺伐としたものに感じられるのかもしれません。

(朝日新聞(12月4日付)「STAGE」から)(談)