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慶應義塾と聞いて思うこと

 先週の土曜日慶應義塾大学の今年度第二回目の連携講座が行われました。私は小学校から大学まで私立の学校というものを知りませんでした。私立の学校に触れたのは、教師として、雲雀丘学園が初めてで、最初は随分趣の違うものだなあと、私学というものを実感しました。この慶應義塾大学については、貧乏大学生のころから眩しい感じで遠くに眺めていました。それがこんなに身近な存在になるとは思いもよりませんでした。こうして身近な存在になってみると、今まであまり親しみを感じていなかった福沢諭吉という人について興味がわいてきました。
 慶應義塾に関するこれまでの私の知識は実に貧相なもので、福沢諭吉の著作を大学生の頃、『学問ノススメ』、『文明論之概略』、『福翁自伝』、『西洋事情』などを「読むべき本」として飛ばし読みした他は、彼に関しても知るところは少なく、著作以外には、咸臨丸で艦長の従者として訪米の際、指揮官の勝海舟が船酔いで船室でひっくり返っているのを尻目に、けろっとして、デッキの上を跳びまわっていたというようなエピソード(ちなみに、私は勝海舟のファンです)、訪米中に着流しで撮った写真館の白人の娘と一緒の若いちょんまげ姿の写真、『痩我慢の説』を時事新報に載せて勝海舟を批判したこと、それに近年になって聖徳太子の代わりに現れた一万円札上の彼の肖像といったところです。まるでお話になりません。
 勿論、彼が慶應義塾の創始者ですが、この慶應という名称は言うまでもなく、創設の時の元号から採ったものです。明治以前、元号はよく代わっていて、慶応年間は3年にすぎません。それは兎も角、慶応義塾大学は明治以前に創設されたことになる。上野の山で彰義隊と官軍が戦争をしていたとき、彼は慶應義塾で学生を相手に講義をしていたそうです。これは大変なことです。東京大学ができたのは明治10年のことです。明治政府は国家の威信をかけて大学を創り上げた。それを十年以上も前に福沢諭吉という一私人が創り上げた。大変な人です。この際せめて昔読み飛ばした彼の著作を、今度はゆっくり読み返してみようと思っています。

文責: 山本正彦