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再び慶応義塾大学について

最近、野球ではハンカチ王子の活躍で、さっぱり早稲田には頭のあがらない慶応ですが、私学の雄は、やはり、何といっても、慶応大学でしょう。
今回と前回の連携講座で三人の先生方を拝見しましたが、非常にのびのびとした、自由闊達な印象を受けました。とくに阿川先生は天衣無縫といった感じで、福沢諭吉(慶應義塾で唯一「先生」とおおっぴらに呼べるのはこの人だけだそうですが、私は部外者ですから、普通に、こう呼ぶことにします)の遺訓が息づいているように思いました。尤も、これは湘南藤沢キャンパスの先生方の特徴かも知れません。
福沢諭吉の遺訓と書きましたが、昔々読んだ彼の著作の中で、腑に落ちて、今でも残っているもののうち、慶応義塾の精神となっているものは、「独立自尊」ということと「実学」の二つです。
この独立自尊の精神は人口に膾炙した「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」という一節とともによく知られるところです。幕末から明治にかけての頃の日本を取り巻く状況は、他のアジアの諸国同様ヨーロッパ列強諸国に植民地にされかねない危機的状況にあり、国家の独立は焦眉の急務でした。
一国が独立するためには、一個人が独立していなければならない。門閥制度でがんじがらめにされていた明治以前の普通の日本人には思いもよらないことだったと思います。アメリカに渡って直に西洋というものを見聞した福沢諭吉はこのことを感得したのだと思います。
戦後の民主主義の普及を経た今日ですが、永年、農耕民族として村社会の中で育まれた考え方、習慣、感性が、狩猟民族の中で育った民主主義に、百年にも充たない短期間のうちにそう簡単に変わるものとも思えませんが、今日、この「独立自尊」という観念はそれほど強いインパクトはもたないことも確かです。しかし、この精神は国際化社会の今日ま
すます必要になるでしょう。
受験生の諸君に即していえば、この「独立自尊」精神が必要なのは言うまでもありません。親に依存している以上、経済的独立こそ不可能ですが、周囲に流されたり、言いなりにならないように、充分自分を見張るようにしてください。かけがえのない一度きりの人生です。自分の進路は自分で切り拓くという気概をもって、前進をしてください。

文責: 山本正彦