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キャリア教育について考える

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以前にも書いたことなのですが───大学を選択する際に,どちらかというと,就職から逆算して最も有利な学部・学科を見つけている生徒が多いような気がします。これも大学の選び方の一つかもしれませんが,それが最上の選択基準だと思い込んでいることに疑問を感じます。どう見ても,あまりにも固定化しすぎている。もっと柔軟に考えられないものかと思います。もちろん,医師や薬剤師といった,資格取得と職業が直結する場合はそれでも良いですが,多くの職業や資格には学部を指定したものはありません。資格を取るために学部を選ぶというのは本末転倒ではないか? 職業選択の最短コースを歩くのではなく,むしろ,本来の,「学ぶ」意欲にたったスタンスから見てはと思うのです。

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 どうして子供たちはそういう考えに傾いていったのでしょう? どうも,キャリア教育の捉え方に問題があるのではないかと,私は思います。本来は社会的自立を促すためのものであったはずのキャリア教育が,いつしか「職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身につけさせる」ことに比重がかかり,「適切な職業選択のため」と思われてしまっているのではないか──────

 では,なぜ,それがいけないのか。その理由について,慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科教授 高橋俊介教授が誌上講演で,以下のように説明されています。

fig20070811.jpg「理由は大きく分けて三つあると思います。
1.そもそもキャリアは計画的に管理可能なものではない、思った通りに作れないということです。日々の仕事に主体的な意見、自分の見解、ポリシーを発揮し、自分が一番力を発揮しやすいやり方で取組んでいるかどうかが重要で、その結果として振り返ると自分らしいキャリアが出来ている。米国スタンフォード大学のクランボルツ教授らの調査では、キャリアの80%は自分の偶然の出来事によって左右されている、だからキャリアは計画的に作れないという結果が出ています。

2. 2番目の理由は、5年先10年先はコントロールできないと同時に、目的合理的な狭い考え方(職種名を5年、10年先の目標に想定してそこから今後の行動を逆算していくやり方)をすると、その仕事がいいかどうかの「ジョブ・マッチング」という考え方自体が成立しなくなってきます。

 つまり、天職に就くことがキャリアにとって最も幸せなことですが、キャリアとはそう単純ではなく、長期のものなのです。しかも職種とのマッチングだけで決まるものでもなく、その職種が自分に向いてるかどうかさえもやってみなければ分からないのが実情ですから、高校生に職種名で将来のキャリアを考えさせることは極めて非現実的なのです。

 中学生や高校生がイメージできる職種というのは、とくにホワイトカラー系は極めて少なくて、8割方の仕事はイメージさえできないと思います。こんな仕事があったのかと、その職場に行って初めて知ることがほとんどです。比較的イメージしやすいパイロットでさえ、いまや操縦の技能や動体視力などの適性とほとんど関係ない。ボーイング747や737の400シリーズ以降は、操縦士というよりコンピューターのインプットを行うオペレーターに変容している現実を多くの人は知らないと思う。ですから、何の仕事に就くかよりも、その仕事に就いた後に主体的にその仕事を天職に変えるという想いが重要です。日々の仕事の中で主体性を持ち続けてきたか否かが、いいキャリアを作る。

 合う仕事などはせいぜい3分の1程度です。主体的に取組まなければ、どんな仕事でも上手くいかない。100%合う仕事というのは、逆にありえない。ある部分が好きでも、ある部分は辛いというのが仕事だと認識することが重要なのです。(つづく)」
(駿台アセントvol.2『始めに職種ありき』のキャリア教育は大間違い」から)