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合格祈願(3)

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北野天満宮に祀られれている菅原道真公の生涯(1)

 菅原道真公は、承和一二年(八四五)当時都であった京都に生まれました。幼い頃から文才に優れ十一歳の時、初めて漢詩を作り見事なできばえで人々を驚かせています。文章博士であった父是善卿(卿は公家の人の呼び名)の指導の下に強い意思とたゆまぬ努力をもって日々学問に励まれ、二十六歳で最難関の国家試験である「方略試」に合格、これより優秀な官僚としてその学識をいかんなくして発揮し活躍されます。
 元慶元年(877)には三十三歳の若さで学者として最高の栄誉というべき文章博士に任じられます。
菅公の幅広い見識と誠実な人柄にことのほか信頼を寄せられた宇多天皇は、菅公の力を借りて数多くの大切な仕事をなさいましたが、やがて宇多天皇が皇子に皇位を譲られ醍醐天皇の御世となって後の昌泰二年菅公は右大臣に任命され右大臣任命され右大将をも兼任という異例ともいえる栄達をとげられました。
 しかしそのわずか二年後の延喜元年(九〇一)、右大臣の菅公とともに左大臣をつとめていた藤原時平とそのグループが、菅公の実力と人望を妬みおそれたために仕組んだ策略により、菅公はすべての官位を突然はく奪され大宰府へ左遷されます。
 大宰府での太宰権師という名前ばかりの役職と荒れ果てた官舎を与えられた菅公は、神仏に自らの潔白を訴え続けながら、延喜三年(九〇三)失意のうちに五十九歳の生涯を閉じられました。
                        北野天満宮発行の宝物殿パンフレットより