« 2018年06月 | メイン | 2018年08月 »

2018年07月27日

脳科学から見た英語上達法

英語の学習方法について、脳科学者の茂木健一郎氏が大変興味深く、説得力に溢れるエッセイを書かれています。きっと、今後の皆さんの英語学習の参考になると思いますので、以下に紹介します。
「脳科学から見た英語上達法」     茂木健一郎
 日本人は英語ができない、ということが問題にされて久しい。学生時代、それなりに時間をかけて学習しているのに、いざとなると使えない。自分を英語でうまく表現することができない。どうすれば、日本人の英語が上手になるか。
 脳科学の視点からすれば、処方箋は一つしかない。すなわち、できるだけ多くの英語の文章を読み、会話を聞くことである。「そんなこと、当たり前ではないか」と思われるかもしれないが、その理由をきちんと説明すると、次のようになる。
 私たちの脳の中では、海馬の助けを借りて、大脳皮質の側頭葉に長期記憶が蓄えられる。長期記憶は、まずは、「あのときに、このようなことがあった」という「エピソード記憶」として貯蔵される。さまざまなエピソード記憶が蓄積されてくると、それは次第に脳の中で編集されて、「意味記憶」が立ち上がってくる。蓄積されるエピソード記憶が質量ともに充実すればするほど、そこから編集される意味も豊かなものになる。
 私たちの脳は、多くの場合、直接、意味を記憶するのではなく、エピソードから意味を編集し、類推している。私たちにとっての母国語である日本語の言葉の意味を、どのように理解してきたかを思い起こしてみよう。辞書を引いたり、誰かに直接聞いたりして言葉の意味を理解することは、むしろ少ない。言葉の意味は、さまざまなエピソード記憶の中から抽象化されて、理解されていくのである。
 たとえば、「やさしい」という言葉の意味は、「君のお母さんはやさしいね」「こんなのやさしい問題だよ」「もっとやさしくしてほしい」などといった具体的な使い方に触れる中で、理解されていく。私たちが日本語を柔軟に使うことができるのも、一つ一つの言葉の背後に、豊かなエピソード記憶の蓄積があるからなのである。
 英語の習得も同じことだ。単語の意味を機械的に覚えるのでは、英語を柔軟に使いこなすことができない。ネイティブ・スピーカー並み、とまではいかなくても、それなりのエピソード記憶の積み重ねがあって、初めて英語を自由に使うことができるのである。
 単語の意味を、辞書のように覚えることには弊害が多い。言葉のニュアンスは、そう単純に提起できるものではないからである。多くの用例に接しなければ、その単語のもっている生命力のようなものが掴めない。場数を踏んで、はじめて言葉の生き生きとした意味が掴めるのである。
 戦前の旧制高校では、原書を読んで外国語を習得したと聞く。現在の教育生徒との単純な比較はできないが、エピソード記憶を積み重ねる、という意味で、「合脳的」な方法であったことは確かである。
 現行の指導要領のように、中学校で覚える英単語はこれだけ、と区切ってしまうことは、エピソード記憶の蓄積という観点からみれば大いに疑問がある。子供が耳にする大人たちの会話には、単語の種類の制限などない。だからこそ、母国語の理解は深く、また豊かなのである。
 すぐにわかるかどうかにかかわらず、大量の英語体験にさらされること以外に、脳の中に生きた英語を根付かせる方法はない。日本の英語教育を脳のメカニズムに即したものに変えていく時期に来ているのではないか。

2018年07月15日

合格体験談 第8弾 苦手な英語でも克服できる!

 苦手な英語を克服していった過程が克明に述べられています。
 苦手な人必読!
   同志社大学 神学部 神学科    特進 私文 高入生 男子

 私は元々勉強が非常に苦手でした。特に、英語は、高3になった時点で三単現のsから始めなければならないほどでした。そのような状況だったので受験勉強を始めるにあたり何をするべきなのか皆目見当がつきませんでした。とは言え、大学受験において英語はほぼ必須ですし、まして私立の文系を志望していたので英語は勉強せざるを得ませんでした。それでこれまでやったこともない、やり方もわからない英単語を覚えるという作業から始めることにしました。
最初は、そもそも発音が綴りと一致しているとは言い難いものは、覚えられるはずがないと思い、非常に苦戦しましたが、基本的な単語がわからなければその後の学習もしようがないので、漫然と暗記する作業を続けました。あまりにダラダラしていたので、システム英単語の3章までを終えたのは10月末だったほどです。そんな学習で英語がわかるようになるはずもなく、7月になろうという頃、先生に薦めていただき、基礎中の基礎の文法の参考書を読み始め、やっと文法というものに注意を払うようになりました。そのように非常に遅々とした勉強だったため8月に行われたセンター形式の模試では半分も点を取ることが出来ませんでした。しかしその時、得点以上に危機感を覚えたことは、長文が全く読めず、話題すら理解できないということでした。 それでも、これまでろくに勉強したことがなかったため、ただ学校で講習を受けて帰宅すれば暗くなるまで昼寝をし、起きてきてノルマとして自分に課したページ数の単語帳と参考書を眺め、飽きてきたら世界史のノートとプリントを眺め、寝て起きて次の日同じことを繰り返すという夏休みを送っていました。
そして迎えた夏休み最後の英語のBTで先生が薦めて下さったセンターレベルよりも少し易しい長文が30題程載っている問題集を一日一題取り組むことにしました。最初は全く読むことが出来ず、目標回答時間15分の問題に1時間半以上かけてなんとか解答し、そこからまた1時間半以上かけて日本語訳と照らし合わせて英語のどの部分が日本語訳のどこにあたるのか、またその意味を成しているのは単語によるものなのか文法によるものなのか、そしてそれは何なのかを分解して覚える作業を合間で何度も眠りこけたりしながらも毎日続けるうち少しずつですが、英文が読めるようになっていきました。そして10月に受験した模試ではついに100点を超えることができました。
志望校である同志社大学の学力水準にはまだまだ遠いものではありますが、自分の中では大きな進歩でした。しかし、良いことばかりではなく、それまで得意科目だと思い込んでいた世界史の点数が大幅に低下し始めました。一度失敗するとその後にも響いていくもので、その時期連続していた模試の度に自分の判断や考え方、知識にどんどん自信が持てなくなっていき、一度書いた答案を訂正し、余計に誤答するということが頻発しました。そしてそんな状況をどうにかしようと勉強するごとに知らなかったことや誤っていたこと、覚えている気になっていたこと、忘れていたことが噴出して果てがないような気がして、苦しんだことを覚えています。
そんなスランプのようなものは3か月以上も続いたのですが、不思議と「諦める」や「心が折れる」といったことはありませんでした。恐らく明確な目標や夢が無い上に努力というものが嫌いなので自分で「頑張っている」といった感覚が無かったせいでしょう。それで、日々の勉強を放り出してしまうこともなく、これまた漫然と続けるうちセンター本番の頃には調子を取り戻すことができました。その頃になると古文を取り上げて勉強したことがないことに気が付くのですが、それでも特筆してわからないということもありませんでした。授業や講習で触れているだけでも漠然と読むことはできるようなりますし、少なくとも記述問題のほとんど無い出題形式の同志社大学の入試問題ではそれで十分でした。今でも苦手な英語も11月頃から過去の入試問題(以下過去問)に取り組み始め、だんだんと制限時間内に解くことができるようになっていきました。
ある程度基本ができてからならば過去問で量をこなすことで出題傾向がわかってきたり、時間配分が掴めるのでとても有効だと思います。それは過去問に対する慣れに過ぎず、真の学力では無いかもしれませんが英語を使いこなすことではなく大学に進学することを目的にするならばそれで十分だと思います。
そうして大学受験を終え、第一志望の大学に合格して思うことは、勉強法というものは本当に人それぞれだということです。私は集中することや、勉強したものを一度で覚えるということが苦手なので、1日中勉強と休憩の境界線がほとんど無いような状態でダラダラと何時間も座り続けて時に床に散らばった教材を枕にすることもしばしばある代わり、毎日欠かさず勉強していました。無理に効率化を図ることはせず、自分に可能なペースでやっていくことも一つの手ではないかと思います。効率化を図ることも受験勉強とは別の努力を必要とするからです。効率が良かろうと悪かろうと、大学受験に関しては合格点が取れればいいのですから決して無限を相手にする訳ではありません。効率とは速さのことなのでたとえ身につくのが遅くとも時間をかければ必ず同じものを得ることができるはずです。だから、効率良く勉強できる人はそれを活かして余裕を持って勉強したり、もっと多くを学ぶことを目指したり、そうでない人は早くから始めたり、勉強時間を延ばしたり、覚える作業を減らし問題演習に時間を割いたりその逆だったり、時間の使い方を工夫するなど人それぞれの勉強の仕方があります。合否を分けるのは正しい勉強法などではなく自分という人間、そして目標とする進路に向けて必要なもの(取らなければならない点数やその点数を取るために覚えること等)を正しく理解することなのだと強く感じました。

2018年07月11日

合格体験談 第7弾 頑張っていたのに失敗することはある。それを乗り越えたのは・・・

★ センター失敗経験から見えて来たもの

   大阪大学 理学部 生物科    一貫 理系 中入生 女子
 私はセンター試験の過去問を十年間分解いた。しかし、本番の点数はその十年間分の中で最低のものだった。センター後一週間、何にも手をつけられず、本気でどこに出願するか悩んだ。第一志望の医学部は受けられる状況ではなく、第二志望校は親の反対にあい、第三志望の阪大理学部も危うい状況だった。だが、二次試験までの約一か月間必死で勉強し、阪大に合格することができた。そんな私の経験をここに記したいと思う。
 <センターで失敗した理由>
・ 国公立受験を考えていたので二次試験に重点を置きすぎてしまっていた。そのため、センターの過去問に取りかかるのが遅かった。
・ 過去問を解くことにばかりとらわれて、予想問題を解いていなかった。
・ 旧課程から新課程への移行で新たに範囲に入ってきた分野の学習がおろそかになってしまった。
・ 自分で自分に“センターで失敗したら終わり”と必要以上にプレッシャーをかけてしまい、そのプレッシャーに負けた(モチベーションをうまくコントロールできなかった)
 <第一志望をあきらめた理由と心情>
・ 医学部にはいきたいが、浪人したからといって絶対に合格できるわけではない→できるだけ早くやりたい研究を行うためには理学部に今年中に入ったほうがいい。
・ 阪大理学部は医学部と連携しているので研究室によっては医学部の学生さんたちとともに研究を行える→行きたい研究室に行けるように優秀な成績を取ろう。
 <センターを受けて私が学んだこと・アドバイス>
・ センターの国語と社会はなるべく早くから取り組まないと実力はつかない。(結果がなかなか出ない)
・ 過去問ももちろん大事だが予想問題を解くことも大事。
・“自分はこれだけやったんだから大丈夫”と思えるだけ勉強して、必要以上にプレッシャーをかけないようにする。
 <二次試験で成功できた理由>
・ 自分に自信が持てるまで勉強した→ズボンのお尻の生地がすり減って破れるまで椅子に座り続けた。
・ 過去問だけでなく予想問題にも取り組んだ。
・ 友達と“絶対に合格して将来自分たちの研究や職業について語り合おう”と約束することでモチベーションを高く維持することができた。
 <受験を通じてのアドバイス>
・ 十二月までは“ここまでやってきたんだから絶対大丈夫”と思えるまで勉強する。
・ 一月からは健康管理に気をつけて疲れたら寝る。
・ 大学に入れば同じ志を持つ人が全国から集ってくるので、今よりももっと楽しくて充実した生活が送れるようになる。
・ 受験生は高校生であるということを忘れずに、謙虚な態度を持つことが大事。