終戦の日を前に
広島県出身で、映画監督で作家の西川美和さんは、どうして私達は先の戦争について、嫌な話や、悲しい話ばかりを聞いて育たねばならないのだろうとずっと思っていました。知っとかなきゃいけないのはわかっている。でも、耳にするのはつらい話ばかり。もう「頭が割れるほど嫌だった」そうです。
そんな西川さんが数年前、終戦間際に通信兵として召集された親戚の伯父さんの体験手記を目にします。それをもとにして書かれた作品。
その日東京駅五時二十五分発/西川美和 (新潮社)
これは戦争が終わった日の物語。
通信兵として広島から東京に赴任した「ぼく」が配置されたのは、西洋建築が立ち、花の咲き乱れる庭やのどかな牧場の残る東京郊外。そこでモールス信号の習練を重ねながら、「ほんまにこれ戦争じゃろうか」と思うのです。
厳しい軍隊生活をほとんど強いられず、戦争の核心から疎外されたように過ごす日々。通信訓練中に偶然キャッチした米国のラジオ放送で耳にしたポツダム宣言。そして広島と長崎への原爆投下。数日後、告げられた隊の解散。それは戦争が終わった、という事だった。
終戦当日の東京駅、「ぼく」は始発で故郷・広島に向かう。車窓から見える玉音放送に首を垂れる人々。「ぼく」は、この国が負けたことなんて、とっくに知っていた。
そして、広島の街に降りたった時、その変わり果てた街を受け入れられず、街も又、自分を拒絶しているように思えた。そんな失意の「ぼく」が出会った、誇り高き火事場泥棒。彼女たちをみて、立ち止まらずに生きて歩いていく力がゆっくりと湧いてくる。
これは、戦場の過酷さからもほど遠く、故郷でおきた悲劇からも切り離され、宙ぶらりんで、ただ時代に流されて生きるばかりだった19歳の青年の物語。