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漢字検定実施

 本日1限目は、高3を除く全学年で漢字検定を実施しました。日々の小テストや課題プリント、過去問への挑戦は、すべてこの日のためです。思い思いの努力の成果はいかんなく発揮されたことでしょうか。残念ながら、学年によっては学級閉鎖のクラスもありましたが、今回は漢字検定協会のご厚意により、インフルエンザによる欠席の場合のみ、後日(11/14)に別試験を受験することができます。
 われわれの言語である「日本語」は、表意文字としての漢字と表音文字としてのひらがな・カタカナの3種類の文字を用いる、世界にも類を見ない表記方法をとっています。そして、周知のことですが、ひらがなもカタカナも漢字から生み出されました。音声言語はあっても、表記する術を持たなかった我々の祖先が、お隣の中国の漢民族の言語である「漢語」を書き表すための文字であった「漢字」をもとに、創意工夫して編み出したと言えるのが「かな」であると言えます。
 個人的には「かな」こそ、日本人が発明したものの中でも、最も優れたものであり、日本文化を象徴するものだという気がしています。日本人はモノマネばかりで独創性がないなどと言われますが、「かな」が生まれる過程を考えるとき、日本人は凄い!十分に独創的ではないか!と思ってしまいます。
 さて、3種類の文字の中でも、本来の機能を有する表意文字としての「漢字」教育に関して、本校は伝統的に力を入れて参りました。漢字検定合格を一つの目標として掲げたのは、ここ10数年のことで、それ以前から全校一斉の漢字100問テストを中心として漢字学習の充実は、国語科の重点課題としてきたのですが、パソコン・携帯・電子辞書などの情報機器がめざましい発展と普及を遂げている昨今では、これまで以上に漢字を学習する意味が大きくなっているのを感じます。
 漢字学習は、カタカナを漢字に直すのみのパターン認識のような浅薄なものであってはなりません。「漢字」一つ一つの意味を尋ね、語彙を豊かにすることは、思考力を養うことにもつながるのです。レベルの高い文章を論理的に読解する基盤となり、複雑で抽象的な思考を支えるのは、他でもない「言葉」なのですから。
 何のために漢字を学ぶのか。漢字学習が、日本語や他の言語に対する関心を深める契機となり、みなさんの世界を広げることにつながればと祈りながら、目先の「良い結果」も期待しています。お疲れ様でした。
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