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社会で活躍するリーダー ~壮大な夢を掲げる②

  本田宗一郎氏は一代で本田技研工業株式会社を“世界のホンダ”とまで呼ばれる、メーカーに育て上げた日本を代表する技術者であり起業家ですが、高等小学校卒業という学歴、自動車修理工場に丁稚奉公した後、1948年に本田技研工業株式会社を設立したという経緯等、松下幸之助氏とは多くの共通点があります。しかし、本田技研工業が世界有数の自動車メーカーに躍進した背景にはこのようなお話があります。
  1954年の不況の時期、ホンダでは従業員に毎月の給料袋を返却させて翌月にまた使用する、といったような徹底した経費の削減を行なっていた。このような状況下にあって、本田社長は「世界一の競争車を作り、グランプリレースに出場する」と従業員に宣言したのです。当時グランプリレースは、技術のオリンピックにも例えられる世界一を競う最高の大会であり、オートバイメーカーにとっては、まさしく製品の品質を試される場であったのです。
  この社長が掲げた大アドバルーンに、全社員はあっけにとられました。今日なお世界で最も歴史あるオートバイレースとして有名な“マン島ツーリスト・トロフィーレース”、当時でも由緒ある全世界的が注目するその大会に、まだほとんど無名であった日本の企業が出場しようと言うのです。景気づけるために言っているのか、また不景気でついに頭がどうかしたのではないか、と誰もが社長の言葉を信用しようとはしなかったそうです。
  しかし、本田社長は事前にこのマン島レースを見て“このレースに勝つものこそ、世界を制すると”いう信念を持ったのです。それからの本田社長は、昼夜をわかたず機械の改良に打ち込みました。この熱狂する社長の姿を目の当たりにして、従業員は次第に社長の熱意に引き込まれ、社内の空気はグランプリレースの優勝を目指そうということになったのです。そして1959年には念願の出場を果たし、翌1960年にはなんと団体優勝を果たしたのです。この素晴らしい成果が世界のホンダに躍進するきっかけになったのです。

  このように、ひとつの信念が信じられないような大きな事を成し遂げることができるのです。
逆境だからこそ壮大な夢を掲げる、という究極のプラス思考、信念、夢、志、熱意、そういったものが人をひきつけ、動かし、その力のベクトルを合わせひとつにしていくのではないかと思います。このような姿勢は社会で活躍する優れたリーダーの共通の姿であると感じています。