初代理事長鳥井信治郎氏について
雲雀丘学園の歴史を紐解くとサントリーの創始者である鳥井信治郎氏による絶大な支援があったということがわかります。 この鳥井信治郎先生が雲雀丘学園の初代理事長に就任するに至った経緯とその後の学園との関わりについて紹介します。
私立学校として学園創立にあたっては、理事会組織が必要となります。そこで、当時川西市寺畑に在住されていた当時寿屋( 現サントリー株式会社 )の創始者であった鳥井信治郎氏に是非理事として名前を連ねていただきたいと懇願したところ、快くご承諾いただきました。
その後、学園の発展につれて、多大の経費が必要になったが、すべて鳥井理事長にお願いすることが多くなったようです。例えば、現在の高校校舎から中央棟・校庭にいたるあたりは鳥井理事長の私有地であったが、昭和28年度に学園中学校創設あたり、11,079㎡(約3千坪)を校地として学園に寄贈されている。(当時は中学校用地として活用された。現在の高校校舎は当時建てられた中学校校舎です。)
すなわち、雲雀丘学園の経費の多くの部分、土地や建築費などが理事長の【陰徳】としての出資であったと言っても過言ではないでしょう。
このように、雲雀丘学園は、鳥井理事長をはじめ保護者・教職員全体の協力で出来た学園です。当時の「新聞」紙上では本学園を称して“持ち寄り学校”と書かれた記事があるぐらいです。 従って、以上のような学園成立・運営の実態から学園理念の「生徒」・「保護者」・「教師」 三位一体の理念が育まれたと考えられます。
《続く》