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三木茂博士とメタセコイヤ

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  昨日の朝礼で、高校の新校舎建設にあたってメタセコイヤを移植するということを話しましたが、本校にメタセコイヤが植えられるようになった経緯を紹介します。
  正確に言うと、今回移植するメタセコイヤの親木が高校校舎と中央棟の間に植えられており、この木は生物学者であった三木茂博士から、昭和29年(1954年)に中学校舎竣工の際にお祝いの記念樹としていただいたものです。その後、昭和38年(1963年)高校校舎の4階を増設する時に親木の実生(みしょう)として植えられたのです。それから46年の歳月が流れましたが、深く掘ったため根が十分に張り、南側で太陽の光を十分に浴びたことによって、今では親木を凌ぐ約30メートルの高さにまで成長しました。
  三木博士は香川県木田郡三木町の出身で、盛岡高等農林学校(現、岩手大学農学部)から京都帝国大学理学部を経て大阪市立大学の教授に就任されました。同氏は和歌山県や岐阜県から常緑樹のセコイヤやヌマスギとは異なる落葉樹の植物遺体(化石の一種)を発見され、昭和16年(1941年)にメタセコイヤと命名されました。「メタ」というのは少し変わったという意味ですから、メタセコイヤというのは〝少し変わったセコイヤ〟ということになります。
  日本にも300万年~400万年前まではたくさん生えており、化石としては日本各地から発見されていました。ところが、絶滅種であると思われていた木が1945年に中国の四川省で胡博士によって生育しているのが発見されたのです。当時は〝生きた化石〟として大きく報道されたようです。この中国で発見された木の種子がアメリカのハーバード大学に送られ、更にその苗木100本が日本に空輸されました。そして、その中の一本が三木茂博士と親交の深かった本校の初代中学校長である板倉操平氏のもとに届けられたのです。それが現在のメタセコイヤの親木です。
  このように今回移植するメタセコイヤには長い歴史が刻み込まれているのです。この、時代を超えて受け継がれてきた命をこれからもしっかりと守ってあげたいと思っています。