成功者の言葉~本田宗一郎氏~
本田宗一郎氏は戦後、ゼロから出発した企業を、「世界のホンダ」といわれるまでに育て上げ、日本人として初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たすなど、海外での評価の高い技術者であり経営者です。最近の不況下にあっても、ホンダ(本田技研)は比較的元気ですが、「模倣に走らず、独自技術を生み出す」、「人間のために心の通う技術を開発する」という思想は、今でもホンダには脈々と受け継がれているようです。
本田氏は次の言葉を残しています。
〝何もやらず、頭から「出来るわけが無い」と決めて掛かる発想が私は一番嫌いである。出来るか否か?って事は、やってみなければわからない事であり、こういうスタンスで挑戦し続ける事が大切です。やる前から「出来る訳が無い」と諦める人は、何事においても「出来るわけが無い」という理由で挑戦すらしません。可能性はゼロ!なんです。「出来るはずだ」と考えてチャレンジする人が、いつの時代も道を切り開いて成果をあげているんですよね。〟また、成功と失敗については発明家のエジソンと全く同じ言葉を残しています。
〝多くの人々は皆成功を夢見、望んでいるが、成功とは99%の失敗に支えられた1%だと考える〟。つまり、能力の限り未知の荒野に飛び込み、失敗しても原因を徹底的に分析していくことで最後の成功という結果に達することができるのだということです。本田は何度となく逆境に立たされ、それを克服してきました。ホンダが技術水準をあげ、輸出できるような二輪車を製造するため、3、4億もする設備を買い込み、これに販売不振が加わり資金繰りが苦しくなり倒産寸前まで追い詰められていたことがありました。この時、ホンダは 国際的なオートバイレースである「マン島T・Tレース」へ出場するという大きな目標を掲げたのです。当時日本のオートバイの技術は低く、業界は無謀な挑戦と嘲笑したが、「大変な目標だからこそチャレンジする」と激を飛ばし、悪戦苦闘しながらもついには6年後にはグランプリを獲得し、これを契機にホンダのバイクは世界を席巻することになりました。
以前、松下電器に勤務している時に『班長交流研修』を行なうということで、約一ヵ月ホンダの鈴鹿製作所で勤務したことがありますが、仕事を進める際にはチャレンジの姿勢を基本にしており、「失敗」に対しても表彰しているということを知って驚いたことがあります。
この例は成功のためには失敗を恐れず挑戦していくことが不可欠であるということを示唆していると思います。