成功者の言葉~三浦綾子氏~
今回は、小説家である三浦綾子さんの言葉を紹介します。彼女は1922年(大正11年)に北海道旭川(あさひかわ)市に生まれ、1939年(昭和14年)旭川市立高等女学校を卒業、17歳から7年間小学校教員を勤めました。しかし、間もなく肺結核と脊椎カリエスを併発して13年間の闘病生活を余儀なくされることになりました。この苦しみの中、病床でキリスト教に目覚め受洗され、三浦光世と結婚しました。その後1964年(昭和39年)、朝日新聞社募集の1000万円懸賞小説に『氷点(ひょうてん)』が入選し、斬新な新聞小説として一躍脚光を浴びることになりました。
彼女は自らを〝病気のデパート〟と呼ぶくらい、肺結核と脊椎カリエスの他、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病等、度重なる病魔に襲われました。それでも常に人生を前向きにとらえ、クリスチャンとしての信仰に根ざした作家活動を積極的に続けられ、『積木の箱』『塩狩峠(しおかりとうげ)』『細川ガラシャ夫人』『天北(てんぽく)原野』『銃口』等、作者の敬虔(けいけん)な信仰世界を投影した作品やエッセイを数多く発表されたのです。
人間は逆境に陥るとどうしても気持ちが落ち込んでしまいます。特に彼女のように次々と重い病気にかかると、生きる意欲もなくしてしまいがちです。それだけに、彼女の言葉は我々を大いに勇気づけてくれます。
〝よい習慣を身につけて生活をいっそう充実させ、豊かな人生を送るようにしたい。 一見、マイナスと見える体験というものが、どんなに人を育てるために大事な体験であることか。そのマイナスの体験が、やがて、多くのプラスに変わるのではないだろうか。「死ぬよりほか道がない」などと考えるのは、いかに人間が傲漫であるかということの証左である。道は幾つもある。生きようとする時、必ず道はひらけるのだ。人生には、学ぶべき教材がごろごろところがっている。学校を出ていないということもまた、一つの教材である。貧しいことも、体の弱いことも、失敗も失恋も人との不和も、そしてまた、順境も逆境も、学ぼうと思えば、すべてが教材なのである。〟
このように成功者は例外なく現状を容認し、プラス思考で前向きに行動されています。私も三浦さんの作品を何冊か読みましたが、どれも心に残る素晴らしいものばかりでした。皆さんも是非一度時間を見つけて読まれることをお薦めします。