雲雀丘学園の歴史~鳥井信治郎氏による支援
学園の創立にあたっては「雲雀丘小学校創立委員会」のメンバーによる多大のご尽力がありました。とりわけこの委員会のまとめ役として、物心両面においてご支援いただいたのが、当時の壽屋(現サントリー)の創業社長であり、学園創立にあたって初代理事長に就任された鳥井信治郎氏です。昭和二十年代の学園の歴史を紐解くと、鳥井信治郎氏の「どうや、うまくいっているか、なんか困っている事はないか」という心温まる言葉や支援を受けて、PTA・教職員・児童生徒が力を合わせて、学校をつくってきた様子が記されています。一例を挙げると、それぞれが土や砂を運び、草を刈って運動場や砂場をつくっていったようです。まさに、雲雀丘学園は〝手作りの学校〟であったと言えるのではないでしょうか。今回の高校の新校舎の建設にあたっても、この伝統は引き継がれてきたように思っています。
また、入学式や卒業式には、鳥井理事長が出席されて話をされましたが、その内容は決まって親孝行の話であり、「朝起きたら、保護者に”お早う”、学校から帰ったら”ただ今”と言い、夜、寝るときは”お休みなさい”と挨拶しなさい。〝親孝行の出来る人は、人間としても立派になれる。〟」というものでした。そして、創立の精神にもこのことが明確に表記されています。
〝孝道を人間の根本義と考え、社会のために尽くす精神を最も尊重し、より良い社会、国家を生み出すべく心を素直にもち、すべてに感謝の念を捧げ、健康な体力とたくましい実践力をもつ強い人間を創る事を念願しています。〟
よく雲雀丘学園の良き伝統ということが話題になりますが、今一度鳥井理事長の言葉や創立の精神の持つ意味をしっかりと胸に刻んでいきたいものです。