稲盛和夫氏の言葉
高等学校の卒業式でも取り上げた稲盛和夫氏のエピソードを紹介します。
稲盛氏は28歳の時、わずか28名の従業員で京都市中京区の西の京原町という京都のはずれにあったある配電盤メーカーの倉庫を間借りして京セラを創業されました。そして、その当時には従業員の前で「西の京原町で一番の会社になろう。ここで一番になったら中京区で一番になろう。次は京都で、更に日本一になり、世界一を目指そう。」とことある毎に語りかけておられました。
しかし、西ノ京原町には京都機械工具という自動車の整備に使うスパナやレンチをつくっている会社があり、更に中京区には島津製作所があったのです。これらの会社を抜くということは、当時の京セラの実力からすれば、誰が見ても全く身の程知らずのものだったのです。それでも〝京都一・〝日本一の企業になる〟と毎日思い続けていくうちに、いつの間にか自分自身でもあたり前のように思えてきた。そして、ついに目標どおり、京セラを世界一のセラミックメーカーにまで育てあげることができたとのことです。
稲盛氏は夢を実現するために、次のような言葉を残されています。
〝どんな遠い夢も、思わない限りはかなわないし、そうありたいと強く心が求めたものだけを私達は手に入れることができる。そのためには潜在意識にしみこむまで、思って、思って、思い続ける・・・夢を語ることはその行為の一つであり、実際に私達はそうすることによって大きすぎる夢を実現してきた。
強く思わなければ何事も成就しないのは当然です。実現するかしないか、成功するかしないかは能力の差ではなく、まさに執念の差であると言っても過言ではないと思っています。