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入学式の式辞から~①学園設立の経緯と鳥井信治郎氏

初代理事長 鳥井信治郎.jpg 創立の精神の碑.jpg

  中学の入学式では学園設立の経緯と鳥井信治郎氏について次のような話をしました。
〝この学園ができたのは第2次世界大戦が終わって間もない昭和25年(1950年)です。そして、雲雀丘学園は、今年創立60周年という記念すべき年を迎えます。当時、この雲雀丘や花屋敷には小学校がなく、この地に住む子ども達は池田にある師範学校の附属小学校(今の大阪教育大学附属池田小学校)に通っていました。ところが、この小学校への入学は抽選によって決められるということになりました。そうするとお兄さん、お姉さんは師範学校の附属小学校に行っているのに、弟や妹は行けないということになってしまいました。そのため、何とかこの地に小学校をつくりたいという声が起こり、地元の皆さんが協力して、雲雀丘学園小学校を創設したのです。そして、この運動の中心になって色々と力を尽くされたのが、サントリーの創業者である鳥井信治郎氏です。その後、中学ができ、高校ができ、現在に至っています。〟

  現在、残されている「周年記念誌」を紐解くと雲雀丘学園の設立から草創期の歴史が詳しく記されていますが、これによると、本学園はサントリーの創始者である鳥井信治郎氏による絶大な支援があったということがわかります。すなわち、私立学校として学園を創立する場合には理事会組織が必要となるため、当時川西市寺畑に在住されていた寿屋( 現サントリー株式会社 )の創始者であった鳥井信治郎氏に是非理事として名前を連ねていただきたいと懇願したところ、快くご承諾いただいたようです。
  その後、学園の発展につれて、多大の経費が必要になりましたが、すべて鳥井理事長にお願いすることが多くなったようです。例えば、現在の高校校舎から中央棟・校庭にいたるあたりは鳥井理事長の私有地でしたが、昭和28年度に学園中学校創設にあたって、11,079㎡(約3千坪)を校地として学園に寄贈していただきました。今回、建て替えた高校の旧校舎は当初中学校舎として建設されたものです。このように、雲雀丘学園の経費の多くの部分や土地、建築費などが理事長の【陰徳】としての出資であったことが分かります。
  このように、雲雀丘学園は、鳥井理事長をはじめ保護者・教職員全体の協力で出来た学園であり、当時の「新聞」紙上では本学園を称して“持ち寄り学校”と書かれた記事があるぐらいです。そして、創立後現在に至るまで、本学園はサントリー株式会社からさまざまな支援をいただいているのです。