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エゾシカの歴史

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  現在、北海道においてはエゾシカによる環境被害が大きな問題になってきています。今回の修学旅行ではエゾシカの生態を調べるプログラムが準備されているため、事前にエゾシカについて調べると、北海道の開拓の歴史と深い関係があることが解りました。 
  エゾシカはアイヌ語では「ユク」と呼ばれていましたが、これは獲物という意味であり、単なる食料の対象として考えられていたようです。その後、幕末から続いた函館戦争も終わり、明治維新を迎えた日本で蝦夷地(北海道)の開拓が始まりました。そして、明治初年、アメリカ農務局長ケプロンの要請でエドウィン・ダンが来日し、畜産や酪農を指導するようになり、ダンは牧場を作って馬や牛を育てる事にも尽力しました。
  一方で、明治10年(1877年)には鹿の缶詰工場が作られたため、乱獲によって鹿の数が激減していたところに、明治12年(1879年)の大雪がこれに拍車をかけることになりました。この結果、エゾオオカミにとっては主食のエゾシカがいなくなってしまい、エゾオオカミが牧場内の家畜を襲う被害が多発することになりました。狼害に頭を悩ませたダンは「エゾオオカミ絶滅作戦」の断行を決定し、毒薬ストリキニーネを日本・海外の両方から買い集め、狼が食べに来る家畜の死体に塗って毒殺すると共に賞金を出して、狼狩りを奨励しました。こうしてわずか20年足らずの間に北海道のみに生息していたエゾオオカミは、人間の手によって絶滅させられました。そして、天敵がいなくなったことにより、徐々にエゾシカの個体数が増加したのです。
  この他にも、エゾシカにとっては生育に有利な環境が形成されました。天然林を伐採して単一の針葉樹を植えたが、苗木の間に成長した下草が餌となり、エゾシカの成育に適した環境が出来上がったこと。降雪の減少により越冬して生き残るエゾシカの数が増加したこと。農耕地が増え、エゾシカの餌資源量が増加したこと。過疎化の進行に伴い猟師の数が減少したこと。等です。
 こうして、現在は全道で40万頭のエゾシカが生息しており、牧草地の被害拡大、農業被害、天然林の稚樹の被害、交通事故や自動車事故を頻発させることになっています。
  エゾシカは繁殖力が旺盛で、1歳で成熟し、2歳から毎年出産するため年率20%くらいの割合で増加します。このペースは4年で約2倍になるということですので、看過できない問題になっています。このように、人間のエゾオオカミに対するゆきすぎた行動や針葉樹への植樹が生態系を崩してしまったと言えるのではないかと思います。環境を守るためには短絡的な行動に走るのではなく、知恵を絞り出し地道な努力を継続していくことが必要であると感じました。