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学園の歴史を紐解く~保護者が創業者

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  初代の中学・高校校長である板倉操平氏の「わが心の自叙伝」を読み返してみると、改めて本学園は他の私立学校のように校主によって造られた学校ではないということが解ります。

  板倉氏の自叙伝には「父兄(保護者)が創業者であり、先生が協力し、生徒が又一体となって造り上げた学校である。何等の設備もなく、教室さえ無い所から学校教育が始まった。小学校の当初は、既設の幼稚園に間借りし、工事事務所を買い取って学校とし、中学校も小学校の空教室へ新一年生を入れて授業を始め、時には物置までも教室にした。かかる教育を受けた第一回の入学生、それが小学校六年間、中高六年間、合して十二年の教育を終えて卒業した生徒達のその後の成績は如何、大学入試の難関といわれる、東大、京大、、阪大へも入学した。・・・(中略)・・・ 年次を加える毎に、先生も増員せられ、設備も一応は整ったが、しかし、既設の他の私立学校、公立学校に比ぶれば、職員組織も整わず、設備も不備であった当時の卒業生第一回、第二回の連中は其の後の成績は最も優秀であり、現在も社会で大いに活躍している。・・・(中略)・・・ 設備も整い職員組織も充実した其の後の生徒諸君、其の日の生活に安住していると、創業時代の卒業生に及ばぬ結果となる。今は守成時代に入ったが、飽くまで創業時代の意気込みを忘れてはならぬ、生徒先生も。」と叙述されています。

  中学校が創設されたのは学園創立3年後の昭和28年(1953年)であり、待望の鉄筋校舎(今回建て替えの対象になった高校校舎)の完成は翌年の昭和29年(1954年)です。この度、創立60周年を機にこの校舎の建て替えを行ない、校庭の芝生化を実現することができました。当時とは比較にならない素晴らしい教育環境になりましたが、今一度板倉先生の言葉を噛みしめていきたいものです。