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建国記念の日の由来

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  2月11日は「建国記念の日」ですが、マスコミではほとんど取り上げられていません。昨日の新聞を見ても一面の片隅に「きょうは建国記念の日のため夕刊は休みます」という記事が掲載されているだけです。また、テレビでは「三連休となる日本列島ですが寒波のため・・・・・」といった報道だけがなされています。このため、建国記念の日について説明できる人はほとんどいないのではないかと思います。

  この日は、かつて『日本書紀』が伝える神武天皇(初代天皇)即位の日として、1872年(明治5年)に制定された「紀元節」でした。この紀元節には全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれ祭事が催されていたほか、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていました。しかし太平洋戦戦争後「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるのではないか」というGHQの意向で、1948年(昭和23年)に紀元節は廃止されました。
  その後間もなく紀元節を復活させようという動きが高まり、テレビ局が行ったアンケート調査でも全国民の80%以上の人が「建国を記念する日」を望んでいるということがわかり、一気にこの動きが加速されたのです。しかし、反対する動きもあってなかなか実現せず、9回にわたる法案の提出と廃案をくり返しました。そして、やっと1966年(昭和41年)に、建国を記念するための祝日として、名称に「の」を挿入し『建国記念の日』として国民の祝日に認められ、翌年から適用されることになりました。実に20年近い歳月が費やされたということになります。
  自分達が生まれ育った国の歴史を理解するということは大切であると思います。神武天皇即位の年月は歴史上、科学的に根拠が薄弱であるという意見もありますが、日本の歴史を紐解くためには日本神話と呼ばれるものを研究することが必要です。 ところが、これらの伝承は大部分が『古事記』や『日本書紀』および各地方の『風土記』にみられる記述をもとにしているのです。
  なお、江戸時代初期までは『日本書紀』が中心でしたが、江戸中期以降の国学の発展によって、現在は日本書紀よりも古いとされる『古事記』の方が重視されるようになってきています。これには『古事記伝』を著した本居宣長の功績が大きいと言われています。私も残念ながらこの本を熟読したことはありませんので、一度時間を見つけて読んでみたいと思っています。