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ナイアガラの滝

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  7月30日(土)、6時30分にモーニングコール、7時30分から朝食ということであったが、生徒達は7時過ぎにはロビーに集合している。時間を繰り上げてバイキング方式のフルカナディアンバフェの食事を摂る。メニューはパン、フルーツ、ヨーグルト、果物、野菜等と実に豊富であり、生徒達は久しぶりの本格的な食事のためか食欲も旺盛である。昨晩は夜遅くまで騒いでいたようで、別の宿泊客から苦情が寄せられた。早速注意するが、その時になるとなかなか自制がきかないようである。8時半に専用バスでホテルを出発。バスは日本と異なり左右の座席が交互にずらしてあり、乗り降りしやすい構造になっている。また、車はアメリカと同じ右側通行で右ハンドルになっている。土曜日で道路が空いていたせいか、予定より早く10時過ぎにナイアガラ・フォールズに到着する。
  世界最大の水量を誇るナイアガラの滝は南米のイグアス、アフリカのビクトリアと並ぶ世界3大瀑布の一つであり、壮大さは驚くばかりである。日本では那智の滝が有名であるが、ナイアガラ滝と比べるととても滝と呼べるものではない。ナイアガラの語源はネイティブ・カナディアンが呼んでいたニアガル(雷轟く水)である。
  ナイアガラの滝が誕生したのは1万2千年前と言われている。氷河が溶けて多くの大地が海に沈んだが、その際一部が大きな湖の形で残り、ここに大量のロッキー山脈の雪解け水が3000kmの長い旅の後流れ込み、スペリオル湖・ミシガン湖・ヒューロン湖を経て、オンタリオ湖に注ぎ込み五大湖が形成されるに至る。
  ところが、エリー湖とオンタリオ湖の間には約100mの高低差があるため、水が流れ落ちるナイアガラ大瀑布となったとのことである。大量の水のため、滝は平均して年間3mずつ後退していたらしいが、今は人工的に水量を調整することにより、3cmの後退にとどまっている。もし水量調整が行われなかったなら、アメリカ滝は消滅してしまうだろうとも言われている。また、この100mの高低差のため、ナイアガラの急斜面においては湖から湿った温暖な空気に包まれ、逆に西からの寒風は丁度上を吹き抜ける形になるため、果物の生産にとってこの上ない好条件となっている。このため、洋梨・葡萄・ブルーベリー・桃等豊富な果物の産地となっており、特に葡萄の生産量は国内の85%を占めるに至っている。
  ここでの最大のイベントは〝霧の乙女号〟「Maid of the Mist」による船上からの滝壺体験である。滝の真下まで近づくため、水しぶきが凄いため、頭の上から青いレインコートをスッポリとかぶり出発する。以前はこの青いレインコートではなく、何人もが代わる代わる着ていたため、あまりにも汗の匂いが臭くて不浄であったため、持ち帰っても良いという事にして、薄手のコートに変えたそうだ。また持ち帰らない人については回収箱が設けられており、すべてリサイクルされている。準備が完了し、いよいよ霧の乙女号は滝に向かって出発する。まず正面のアメリカ滝の前を通り過ぎる。物凄い水しぶきである。アメリカ滝よりもカナダ滝の方が滝の真下に入ることになる。滝にどんどん近づくにつれて、水しぶきは激しくなってくる。しぶき(飛沫)といった生やさしいものではなく、極端な言い方をすれば、頭の上からバケツで水をぶっ掛けられているという表現があてはまる。船は落ちてくる水の勢いで左右に大きく揺れ、船内は大騒ぎである。このような体験は他では得られないだろう。
ナイアガラ・フォールズの見学の後、滝の近くにあるプラネット・ハリウッドで特大のチーズバーガーによる昼食を摂る。これでも昨年の反省から、今年は少し小さ目にしたとのことである。食後、明治時代から開かれているという「斉藤」というお土産屋さんに立ち寄る。生徒達は早速色々な物を買い求めている。武田喜一郎店長の話によると、航空機の燃料高と円安(カナダドルに対する)の影響で日本からの観光客は減少しているとのことである。生徒達には事前に、お土産を買う機会はいくらでもあるから荷物を増やさないようにと伝えていたが、そのアドバイスはほとんど受け入れられず多くの品物を買っていたようだ。