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最初の訪問地トロント

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  7月29日(金)、17時45分に成田を飛び立って、約11時間半のフライトで、トロントに到着し、全員元気でカナダでの第一歩を踏み出すことになった。ここで戸惑うのが、日本との時差である。通常であれば、既に30日になっているはずであるが、日本とトロントは13時間(現在はサマータイム)の時差があるため、時間が1時間逆戻りすることになる。無事、入国手続きと通関を済ませ、ホテルのシャトルバスで、ホテルに向かい、夜食をとる。
  ここで最初の訪問地であるトロントについて紹介したい。カナダには10の自治州があるが、オンタリオ州の州都であり、人口550万人を有するカナダ最大の都市がトロントである。トロントの歴史は白子人が最初にこの地に到着した1615年まで遡る。フランス人サミュエル・ド・シャンプランの探検隊が最初とのことである。〝トロント〟とはインディアンの言葉で「人が会う場所」を意味しており、街の南には五大湖の一つであるオンタリオ湖があり、対岸はアメリカのニューヨーク州である。
  1759年までトロントはフランス軍が砦を構える要塞であったが、インディアンが暮らしている土地であったため、フランス軍はインディアンと交渉し、170ポンドと140樽のメリケン粉と少々の斧で、この地を手に入れた。その後1759年、英仏間の7年戦争の結果、フランスはアメリカ大陸の領土をすべてイギリスに明け渡し、これに伴いトロントも英領の一部になった。
  トロントに本格的な町づくりの計画がもたらされたのは1793年である。当時カナダ総督のドーチェスター卿はアッパーカナダ(現在のオンタリオ州)の首都ナイアガラ・オン・ザ・レイクが米国に近すぎるため、オンタリオ湖岸に新都の建設を考え、英国王ジョージⅢの第2子フレデリック・ヨーク公の名にちなみヨークヴィルと命名した。その後、1812年の米英戦争でヨークヴィルは全焼。それからの本格的な復興はイギリスからの新移民の到着を待つことになり、1830年代半ばにもとの名前トロントに改称された。
  19世紀の終わりにトロントはカナダの商工業の中心として大きく発展し、1830年代にはわずか1万人だった人口も1901年には20万人を数えるまでになり、カナダ政府の積極的な移民政策により1941年以降世界中から移民が集まり始めた。今では移民の数は人口のほぼ半数を占めている。町を歩いていても肌の色・目の色・髪の色、背丈等全く異なる人達が混在しており、人間のるつぼという感が強い。最近では中華系移民が激増してきており、国際色豊かな世界屈指の多民族都市に変貌してきているようだ。