注連縄と門松
近年、お正月も単なる大型連休という色彩が濃くなってきました。年末年始を海外や帰省先で過ごす人が増え、取り立ててお正月の準備をする家庭も少なくなってきています。そのため、わが国の伝統的な行事や文化の意味を知らない若者も多いようです。
お正月は気持ちを切り替えて、一年の計画を立てるという意味で重要な節目であるということから、これまで日本においては、新年を迎えるためのさまざまな行事や風習を行なってきました。主なものをあげると、〝煤(すす)払い〟を行ない、〝注連縄(しめなわ)〟を張り、〝門松〟や〝鏡餅〟を飾り、餅をつき、御節料理を作り、大晦日には年越しそばを食べるといったものです。最近はスーパーやデパート、コンビニ等でも御節料理やお餅を販売しているため、手軽に購入することができますが、私の幼少の頃はすべて手作りでした。そして、お正月には家族全員がお屠蘇でお祝いし、雑煮や御節料理を食べるというのが一般的でした。
最初に注連縄と門松の由来について紹介します。
玄関先に注連縄を張るのは、家の中に悪霊を入れず穢れ(けがれ)をぬぐい去り無病息災・家内安全を祈るものです。神社などで見られるように注連縄は神聖な場所に渡し、内(神域)と外(現実社会)を隔てて、不浄に触れさせないために用いられるものです。
また、門松については平安時代に中国から伝わり、現在の様式が決まったのは室町時代であると言われています。つまり松、竹などを門口に立てることにより、それに神を降臨させて家の入り口を清め、新年を迎えるという意味なのです。最近は簡略化されたものがほとんどですが、本格的な門松には竹の先端が斜めにカットしてある「そぎ」と呼ばれるものがあります。この風習は徳川家康が始めたようです。家康は戦上手であったと伝えられていますが、生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」(1572年)では武田信玄の騎馬軍団に完膚なきまでに叩きのめされました。この戦いの後、信玄に対して次は斬るぞという念を込めたのがこのそぎの始まりであると言われています。
このように、日本の風習には穢れを拭い、身を清めることを目的にしたものが数多くあります。また、常に八百万(やおよろず)の神を敬うことが基本になっているのです。
なお、門松や注連縄を飾るのは29日と31日を避けるのが良いとされています。これは、29日は「二重苦」、9の末日ということで「苦待つ」に通じる、また31日は「一日飾り」と言って神をおろそかにするからです。 何気なく行なっているお正月の準備にもそれぞれ理由があり興味深く感じています。