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剥げた芝生を見て思うこと

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 連休明けのひさしぶりの登校です。朝から元気のいい声で挨拶する生徒もあれば、少し小さな声で返事が帰ってくる生徒もあります。冬服と合い服の併用期間でもありますので、バッジをつけ忘れてくる生徒もチラホラ見受けられます。でも、みんな元気な様子です。朝の登校指導の風景です。

 校庭の芝生も、連休で少し元気になってきたようで、緑が濃くなってきました。ところが、一部地面が見えて、剥げているところがあります。踏圧に強いとされているティフトン芝を張っているのですが、どうしても、多くの生徒が利用しますので、剥げてしまいます。芝が剥げるので使用させないということになると、何の為の校庭の芝生化か、ということになります。剥げるのは仕方のないことです。その剥げた芝生を見て、生徒たちが何を感じてくれるのかということです。奇麗な緑の芝生は、放っておいてできるものではありません。雑草抜きや肥料の散布など、メンテナンスを誰かがしているのです。
 また、学園内には多くの草花や木々があります。季節に応じて奇麗な花を咲かせてくれます。それらを見て奇麗と感じる心は勿論、咲かせるまでの経過や背景にまで思いを馳せられる人間になってほしいと思います。
 いつも誰かが用意したり、お膳立てしてくれたことを、さも当然のごとく使用する何も感じない生徒にはしたくありません。誰かにしてもらう人間から、他人の為に力を尽くせる人間に。夢物語でしょうか。