8月6日
「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」広島市長の平和宣言文の中で紹介された当時20歳の女性が見た街の様子です。この3日後には、違う型の原爆が長崎に落とされました。多くの犠牲者がでたとともに、67年経った今も、放射線の影響で苦しんでいる人がいます。8月の6日と9日は、私たちにとって忘れてはならない日です。宣言文の中で市長は「2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。」 とも言っています。
原子力の利用は、桁違いのエネルギーと、量や強さによって生物に悪影響を及ぼす放射線や放射性物質などを発生させます。「原子力の平和利用」、難しい問題ですが「可能なのかどうかも含めて」考えなければならない課題だと思います。