秋分の日
少し郊外に出ると、真っ赤な花が田んぼの畦に咲いています。田を荒らすネズミ等寄せつけないようにするために植えたとされる有毒植物のヒガンバナです。
きょうは、二十四節気の第16番目、「白露」の次にあたる「秋分」です。「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨として、「秋分の日」という国民の祝日に指定されています。「彼岸の中日」ともいわれ「秋季彼岸会」が行われ、墓参りをする人が多くいます。
「秋分の日」といえば、昼と夜の長さが同じ長さの日といわれています。厳密にいえば、太陽は点ではなく大きさを持った円形ですから、日の出、日の入りに要する太陽の大きさの分、昼の方が少し長くなります。この日以降、冬至まで日を追う毎に夜が長くなっていきます。「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし」。釣瓶は「縄やさおの先につけて井戸水をくみあげる桶」のことです。井戸にストンと落ちていくように、あっという間に日が沈むことの形容で使われます。生活に密着した分かりやすい喩えですが、最近では、TVや映画の時代劇でしか見かけなくなってしまいました。
ヒガンバナは未だしも、日の出、日の入りや釣瓶は実際の場面や実物を見られなくなっています。井戸水を汲み上げるときの綱を引く力加減、あと少しのところで掴み損ねて落としてしまった体験等があればこの言葉の理解の仕方も変わってきます。実体験や経験に基づくものは、認識も深まり知識として定着します。生活の場での経験や体験が乏しくなってきている現状を踏まえ、学びの仕組みや方法論を考えなけば、と思います。