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「われら愛す」

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 設立当初の学園の取り組みの中で宝物がもう一つあります。それは、「われら愛す」です。
 「1952年(昭和27年)4月28日、第二次大戦の講和条約が発効し日本は独立した。しかし、多くの日本人は今なお敗戦意識から抜けきれず、世の中には頽廃的な気分がたえなかった。国民の誰もが愛唱出来る歌で、この社会の風潮を一掃し、勇気づけることは出来ないだろうか」(サントリー百年誌)、として壽屋(サントリーの前身)の佐治敬三社長(本学園第2代理事長)が中心になって、昭和28年大々的に新聞広告をだし、新国民歌を募りました。そして、応募総数5万余のなかから選ばれたのが、芳賀秀次郎作詞「われら愛す」です。いわば、国民的運動の中から選ばれてきた歌です。
 当時を知る卒業生の方の話では、幼稚園から高校までの合同大運動会では校庭一杯に広がって「われら愛す」が踊られていたとのことです。30年近く歌われ、かつ踊られてきたそうです。数十年ぶりに同窓会で集まった高校の一期生が、いまでも歌えるほどこの歌は強烈な印象だったと感想を述べられています。
 学園も大きくなり幼稚園から高校まで、一堂に会することが出来なくなり、この歌も、いつしか歌われ踊られなくなってきたようです。しかし、忘れ去られたのではありません。この宝物はしっかり私たちが受け継いでいかなければならないと考えています。
 「50年の時を経て、この歌が私たちに教えてくれたこと、それは伝えていくことの大切さだったのです。これから先、この歌を残すために私たちはこのテープを残します。制作は雲雀丘学園高等学校放送部でした。」2001年全国高校放送コンクールに出品した作品はこのように締め括っています。