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親孝行・やってみなはれ

2022年10月07日

昭和の親父

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 実父も妻の父も昭和9年(1934年)生でどちらも他界しております。幼少期に戦争を体験し、戦後復興の青春時代には生活・仕事のために上級学校に行けず、そして高度成長期に都会で技術を身につけ、生きるために、家族のためにがむしゃらに働かれました。
 戦争の話は聞いていましたが、仕事の苦労話は「子供に心配させない」という考えなのかほとんど聞いたことがありません。タイプの違いはあれど、それが2人の父の共通点です。私たち夫婦の各家庭は両親のおかげで上級学校や塾.習い事に行かせてもらい不自由なく育てられました。
 義父は仕事をリタイアしたあと、夜間中学に通い府立北野高校定時制に入学しました。自宅で数学Ⅱや英語の教科書を見つけましたが、元来寡黙な人なのでこちらからも尋ねにくく、めったに高校の様子を聞く機会もありませんでした。母の話しでは、自転車で夏は酷暑、冬は極寒の淀川を越え片道30分以上かけて毎日通学しました。自宅でも教科書や辞書を片手に黙々と勉強していたそうです。仲間や夜間・定時制の先生に支えられ中学と高校の課程を終え卒業されました。
 実父も大学で勉強したいようなことを話したことがあり、引退し故郷にUターン後は農業の傍ら郷土史研究や村おこしに励んでいました。
 学校に行けず家族のために懸命に働いてきた「昭和の親父」には、忍耐力のない二十歳前後の愚息がどう映っていたのだろうと今になって恥ずかしくなります。後年に学びへの意欲を失わず実践されたことは、学びの尊さを背中で教えてくれていたのかと今になって胸に迫ります。親のことを考えるとやっぱり「今になって」です。
 豊かで平和な日本が築かれる中で、明治大正昭和にもたくさんの親父さんお袋さんがこのように生きていたということを、私以上に何不自由なく育ってきた子供たちや孫たちに伝えたくなりました。

(雲雀丘学園中学校・高等学校 校長 中井 啓之)