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企業最前線! 職業人インタビュー(4)

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平田 進也さん
(株)日本旅行 西日本営業本部部長

 ひらた・しんや●1957年,奈良県生まれ。京都外国語大学在学時から,テレビ番組『ラブアタック!』の名物“みじめアタッカー”として活躍。日本旅行入社後も,素人ながら奇抜なキャラクターを生かして『合コン!合宿!解放区』,『おはよう朝日です』,『探偵!ナイトスクープ』などのテレビ組に400回以上出演。豊富な旅行経験と巧みな話術やユニークな変身芸に熱烈なファンも多く,「浪速のカリスマ添乗員」の異名をとる。ファンクラブの会員は1万2800人を数える。大手旅行会社では異例だが,ツアーの企画から添乗まで一貫して担当し,「平田進也と行くツアー」は発売後,即売り切れに。著書に『出る杭も5億稼げば打たれない!』(小学館)がある。
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 ※インタビュー:2004年8月12日

 実は子どもの頃はごっつう恥ずかしがりやで、学級会とかでもよう手も挙げられなかったんです。6年生の学芸会のとき、舞台のそでで緞帳に隠れて全体に影響のないカスタネットを叩いてた(笑)。それを見に来ていた親父から、「男として存在価値がないようなのはダメや、何でもええからみんなの中で1番になるようなもの作れェ」言われたんです。それにショックを受けましてね。それで中学入って、すぐ学級委員の選挙があって、先生の「立候補するやつはおらんのか?」の言葉に、何や知らぬ間に自分で手ぇ挙げてたんです(笑)。そしたら他に誰も手を挙げへんかった。そしたら決まりやないですか。ところがクラスに校長の息子がおって、先生はそいつを学級委員にしたかったらしい。それで無理やり選挙にされて、みんなが票を入れて行って、最後の1票で13対12で勝ったんです。自分では「運命の1票」て思うてます(笑) 。それで人前でしゃべるようになれました。最初はできなくてムチャクチャでしたけど。で、あるとき、学級会で吉本のギャグを言うたらえらい大受けしたんです。みんなの笑いがこの一身に集まって、「こんな楽しいことはない、僕が探してたのはこれや!」って体が震える思いがしました。それ以来、テレビで吉本を見て、ノートつけながら必死にギャグを研究しましたねぇ 。

 ホームルームのときでも、シーンとしてたらうまく進まんのですが、そんなときに笑いを放り込むと、ぱっと和やかな雰囲気になって、みんなの本心からいい意見が出るようになるんです。それに気付いてから、笑いは素晴らしい、と思うようになりました。それから人を楽しますことを常に考えているようになったんです。みんなの状況はどうなっているのか、いつもキョロキョロ見回して様子をうかがうんです。雰囲気が悪いと、どうすれば和むか処方箋を考えている。それで、通信簿には決まって「落ち着きがない」と書かれました(笑)。で、気付いたら中学1年の終わりにはクラスで一番面白い存在になっていました。3年で全校一ですわ。天下取ったようなもん(笑) 。高校では、生徒総会のときに全校生徒1500人くらいが大講堂に集まって議論するんですが、そこでしゃべってどれだけ興味を持たれるか、真価を発揮するチャンスでした。そのとき、1年生の私の発言は、3年の落研の先輩より面白かった。それで実行委員として学園祭を仕切るようになり、しまいには自分の学校だけで満足できず、地元のFM番組に出たり、他の高校の文化祭にも出かけて「しゃべらせてくれ」と(笑)。「これでメシ食っていけたらええなぁ」と思うようになりましたね。

 バスで日帰りの花見大会があった日、雨が降ってきて弁当を食べられんようになったんです。それでバス1台、35人をウチに連れて帰ったことがある(笑)。出先からウチに電話して「おかあちゃん、友だち困ってんねぇ、連れて帰るでー」「そうか、かわいそうに!連れて帰りー」ってな具合で35人が家に入って行った(笑)。母親から「おまえ何人連れて帰ってきたんや!普通は2、3人やて思うやないか」って言われましたけど、全員に味噌汁を振る舞ってくれたんです。ああ、親あっての俺やなーって思いましたね。私ももてなすことが好きなんですね。そうやって一生の仕事が決まっていったと思います。

 学生時代からテレビ出演を始めました。『ラブアタック!』に応募したら、ディレクターから「キミおもろいなー、次からも出て」と言われまして。当時の“お笑いの甲子園”といった存在で、その番組に27回出ました。本当はテレビ局のディレクターになりたかったんです。で、朝日放送のディレクターに相談したら「学閥もあるしムツカシイかもしれへんで」って言われたんです。就職難の時代でしたけど、そんな学閥で無理やなんて、と愕然としました。一方、芸能プロダクションから「芸人になるか?」と誘われもしたんです。親に相談したら「お前をそんなんするために育てた覚えはない、もっと安定した職に就け」って反対されて、また愕然としました。それでまたディレクターのところに相談に行ったら、「あんたは人を相手にするサービス業しかない。旅行会社なんてええんとちゃうか。80キロで高速走ってるバスからお客さんは逃げられへんやろ。そこでガイドさんからマイク奪い取ってしゃべったらええんや。旅館に着いたら着いたで舞台もあるやないか」って言われて、なるほど、と思ったんです。それで日本旅行を受けました 。3000人受けて77人が合格、という難関。後で面接官から「キミが一番面白かった。旅行会社の社員は人を楽しませる必要がある。キミは我々面接官の清涼剤的存在やったね」と言われました。

 いま、「トムソーヤクラブ」で子どもに接していますが、一人ひとり人格が違うんですね。いろんな個性をいかにいい方向に引っ張っていけるかが大事だと思いますが、それには先生の一言が非常に大きいと思います。私が小学4年のとき、図工で先生が「独創的や」ってほめてくれ、オール3だったのが初めて図工で5をもらったんです。それで自分でもやれる、と思えて頑張れたと思います。その年に作文で、その先生のことを「大人になったら月に1000万円稼いでお礼がしたいです、待っててください」と書いたの、今でも覚えています(笑)。ウソでもいいから、人の存在を認めて良いところをほめ、波に乗せてあげることも必要だと思います。子どもはドロドロの溶岩状態で、どうバケるかわかりませんから、言葉を選んでプレゼントしてあげることが大事でしょうね。

 今の高校生は、なかなか立派だと思いますよ。「今どきの若者はなってない」なんて、順送りで言うものと違いますか。江戸時代の人から見れば、大人も子どもも変わらないでしょう。よく見ていると、義理人情とかを知っているし、そういうのもしっかり受け継いでくれていると思いますね。

『企業最前線!職業人インタビュー』(キャリアガイダンス@メール,リクルート社)より