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イマドキの高校生

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いいだ・たかあき 河合塾講師。1968年三重県に生まれる。広島大学教育学部(理科)卒業後、同大学院理学研究科博士課程に在籍中の1995年より、河合塾広島校で生物を担当。2000年より、東京地区に移籍し、現在、東大オープンや全統マーク模試をはじめとする模擬試験やテキストの執筆を手がけ、東京と広島を毎週往復し、生物の講義を行う。人気、実力ともに高い評価を得ている名物講師。著書に「こだわって!国公立二次分野問題集(河合出版 小畑成美・前田真共著)」がある。

 先日、我が予備校で「保護者会」という企画があり、高3受験生の親御さんを対象に講演したのだが、会場は親御さんで埋め尽くされ、熱気に満ち溢れていた。真剣な眼差し、一生懸命メモをとる、一言も聞き逃すまいという姿勢…大勢の前で話すことに慣れている私が、会場の雰囲気に呑まれてしまった。「親御さんが受験勉強したら早いのに…」と思うくらい強烈であった。

 講演が終わってから感じたことがある。「親と子のギャップ」である。子は、受験に対して漠然とした危機感をもっている。「とりあえずは勉強しなきゃ…」。しかし、「親の心子知らず」とはよく言ったもので、子の意識は受験の方を向いているが、親の方には向いていない。ところが、親の意識は受験そのものよりも子に向いている。ここに大きな隔たりを感じるのである。親からすれば我が子を、志望大学に合格させるために、何でもしようという意気込みである。しかし、その意気込みが強ければ強いほど空回りしているように思う。

 この時期、よく耳にするのは、「親から他の子と比べられて嫌だ」「勉強しろ勉強しろと…やってるじゃん!」「苦手な科目なんとかしなさいって言われる。なんとかできるならなんとかしてるよー」今も昔も変わらぬ受験生の叫びである。親からすれば精一杯の助言であろうが、子にとっては頭痛の種である。

 毎年思うのだが、親との世間話など「会話」というのを塾生からほとんど聞かない。塾生は勉強して疲れているのだろうか?家でも勉強ばかりして親と会話していないのだろうか?ふと考えてしまう。「勉強、勉強」では息が詰まる。これは、私たちも「仕事、仕事」では息が詰まるのと同じである。受験生が家に帰って、気楽に会話できる安らげる環境であればいいと思う。ただし、気楽すぎると受験の間際にひどい目にあってしまう。なんでも「ほどほどに」くらいが丁度よいようである。

 子は受験を切り抜け、長い年月が過ぎたころに親の有難さを知るときがくる。親御さんはそのときを夢見て、「親の心子知らず」を楽しんでほしい。私も振り返るとさんざん親に迷惑をかけてきた。そのことを両親に話したところ、よほど忘れられなかったのか、30歳を過ぎてこってり油を絞られた。言わなきゃよかった。

(リクルート社「キャリアガイダンス」より)