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1冊の本から 3

 世界的な物理学者となったアインシュタイン博士はどのような生涯を送られたのでしょう。
 1879年3月14日、ドイツで生まれる。日本では、明治時代に入った頃で、世界では、蓄音機が発明されたり、しばらくして映画が発明された頃のことです。
 5歳頃まで、あまり言葉を話さなかったけれど、11歳の時には、ピタゴラスの定理を自力で証明し、12歳ではユークリッド幾何学を独学で習得したそうです。それが、どれくらい凄いことかはわかりませんが、少なくとも、私には無理です。
 その後、イタリア、スイスへと渡り、チューリッヒ連邦工科大学に入学。自分の興味のある分野である“電気技術”は優秀な成績だったのに、“物理の実験”は最低の“1”だったそうです。
 1902年(23歳)、スイス特許局に3級技術専門職として就職。
 1903年(24歳)、大学で出会ったミレーバと結婚。
 1905年(26歳)、「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関する、5つの重要な論文を立て続けに発表し、「奇跡の年」として知られていますが、無名の特許員が提唱した「特殊相対性理論」は、当初理解を得られず、苦労されたようです。
 1909年(30歳)、チューリッヒ大学の教授となり、1916年(37歳)に一般相対性理論を発表。
 1916年(40歳)、ミレーバと離婚し、いとこのエルザと再婚!そして、1921年(42歳)に、ノーベル物理学賞を受賞し、物理学の世界だけでなく、有名になりました。そして、1922年(43歳)来日し、43日間滞在しています。(これについては、明日もう少し詳しく書こうと思っています。)翌年、関東大震災が起きています。その後の研究に、後のレーザーの開発につながるものもあります。
「今の妻が、科学を理解できないのは嬉しいことです。最初の妻は、理解できたんです。」
 1932年(53歳)、ユダヤ人の迫害から逃れるため、アメリカ合衆国に亡命。翌年新設された、プリンストン高等学術研究所に教授職を得、多くの研究を続けています。
 因みにこの頃、1939年に第二次世界大戦が、1941年には太平洋戦争が勃発しています。1949年に湯川秀樹が、アインシュタインと同じ、ノーベル物理学賞を受賞しています。
 話を戻して、1952年(73歳)、イスラエル政府から、第二代大統領への就任を要請されたのに、辞退してるんですって。その3年後、1955年(76歳)、世界各国に、核兵器の廃絶を呼びかける“ラッセル=アインシュタイン宣言”を発表し、その年の4月18日、腹部動脈瘤破裂によって亡くなりました。
 最後の言葉が気になります。でも、不明です。アインシュタインは、ドイツ語で言ったのですが、その場にいた看護師が、ドイツ語を理解できなかったため、残っていないんです。
「死はいずれやって来る。それがいつかなんて、どうでもいいじゃないですか。」