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「うち」と「そと」

 この前,電車の中で,シートに座っていた人が一斉にケータイ立ててやってる光景に出会いました。「新聞や雑誌がケータイに代わっただけなんだから別にいいじゃないか」と言われそうですが,姿勢を変えず,一途に指だけ動かして一点を見つめている人が列をなしている光景は,新聞,雑誌とは全然違う雰囲気です。(気がついたら,こちら側のシートに座っている人も皆一緒だったりして・・・・・・。恐ろしいですね。)
 
 さて,履物を脱いで「うち」に入るように,私達の考えの中に,無意識に「うち」と「そと」を区別する習慣があります。そして,たいてい,「そと」より「うち」の方がきれいで大切な空間だと認識しています。例えば,電車の中でメールを打つことは自分一人のすることで,「うち」の行いであり,そのとき隣の人もメールをやっていようがいまいが「そと」には関心がありません。また,自分の家で高速なインターネットが使えるかどうかとか,エアコンを付けて涼しくできないかどうかとかいったことに気を遣っても,そのために電柱が増え,電線がとぐろを巻こうが,室外機がブ~ンブ~ンうなりを上げて動こうが,そこには気を遣いません。しかも,悪いことに,こういった欲望(インターネットをサクサク動かしたい,メールを早く届けたい,涼みたい等々)は際限なくどんどん膨張していっています。
 この,日本人の精神構造を「欲望自然主義」と定義し,明治以降,富国強兵・大陸侵略へとつながる思想的背景になっていると,「醜い日本の私」の著者,中島さんは言い切っています。
 実はこの見方,いろんな方面で使えるなぁと思います。えっ?どんな場面?・・・・一度考えてみてください。