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脳中払底

 又、ブログの当番が回ってきました。ある高名な作家の若い頃の文章の一節に、こんなのがあります。「・・・何か論説を書けと云ふ、余此頃脳中払底、諸子に示すべき事なし、・・・」面白いのは「脳中払底」という駄洒落です。本来は「嚢中払底」という言い回しであるべきところを「脳中払底」と洒落たわけです。近頃はあまり見かけなくなったので、蛇足ながら説明を加えますと、「嚢中」というのは財布の中身のことで、これが「払底」するとは底を払うことですから、財布をひっくり返して、底を払ってもスッカラカン、中身はなくて、空っぽだということです。「・・・何か論説を書けと言うけれど、私は此の頃、頭の中はスッカラカンで何もないから、諸君に示すようなことは特に持ち合わせがない・・・」といったところでしょう。(この先の文章が面白いのですが、引用だらけになるのでやめておきます。)
 実は、こんなことで始めたのも、私も同じような心境だからです。今週は期末考査で、私の頭は期末考査で占領されていて、それ以外のことはまさに「脳中払底」です。その時になれば何か書くことはあるだろうと、暢気に構えていたのですが、いざ書く段になると、「脳中払底」で困っています。まあ、言い訳はこれ位にしておきます。
 そこで、悪趣味かも知れませんが、自分の書いたブログを一通り読み返してみました。読み返してみて、二度「大学全入時代」について触れているのに気付きました。私自身、特にこの問題に執着しているわけではありませんが、データ的に曖昧なままに放置しているのが気になります。それに、世間がこの問題を殊更に取り沙汰するのは「大学全入時代」というのが、「誰でも望めば(浪人することなく)全員入学することができる時代」などという単純な意味ではなく、現在の受験生諸君の置かれている状況を象徴的に表しているからでしょう。「大学全入時代」の到来ぐらいのことは、4月1日が過ぎて同年齢の人口が確定すれば、同年齢の人口というものは減ることはあっても、増えることはありませんから、満一歳の時には、いわば宿命的に決定事項だからです。
 大雑把に言えば、少子化時代ということになるでしょう。この少子化というのが、年金をはじめ、様々な社会的大問題を引き起こしていますが、受験生諸君に降りかかっているのが、この「大学全入時代」に象徴される諸現象です。諸君は目前の受験勉強で忙しくそれどころではないと思いますが、受験大学の選定の際は、自分の置かれている状況を大掴みにしておいた方が、受験大学を色々と点検をして、選択をする際には好都合といえるでしょう。
 今回のシリーズは「大学全入問題」をめぐって書いていこうと思います。ただし、何しろ「脳中払底」です。今、思い浮かぶのはマスコミでも問題にしている「二極化時代」とか、「定員割れ」、「ユニーク学部・ユニーク学科」ぐらいのものです。後者に関しては、進路指導の実務に当たっていて、その数の多さ、多様さには驚いています。良く言えば、百花繚乱、悪く言えば、あだ花の狂い咲きといった奇観を呈していると言えば、言い過ぎでしょうか。私が学生の頃、社会学が学部として昇格するというのを聞いて「へー、社会学がねえ」と思ったことを考えると、隔世の観があります。      文責: 山本正彦