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成功者列伝 2  踊る大学教授

 私のよく知っている人で、その道の成功者を紹介するこのシリーズ。今日はその2回目。
 Rさんは従姉が宝塚歌劇に夢中で、そのおつきあいで宝塚についていくことがあった。しかしあまりその舞台には魅力を感じず、高校1年の時、「これがもう最後ね」と言ってつきあいで観た「カンカン」で人生が変わってしまったという。
 中学・高校とバレーボールに汗を流していた彼女は、なんとか踊る方のバレエを習いたい、と機をうかがう。母親は理解があったが、父親は「あんなとこは不良の行くところ」とハナからとりあってくれない。とうとう仕方なく、父親にはバレーボールと偽ってバレエの練習に通いだしたのが高校3年の春だった。常識ではこんなに遅くバレエを始めて1年で通るはずはないのだが、人生何が起こるかわからない。高3の最後に1回だけ受けた試験に通り、宝塚音楽学校の生徒になる。父親との交渉をどうしたのか、知りたいところである。その後、彼女はひたすらダンスの道を究め、宝塚歌劇団でダンサーとして一世を風靡することになる。
 この人、せっかく台詞をあてがわれても、「いりません」と平気で断る。台詞はきらいなのだそうだ。ところが踊ることにかけては、誰にも負けたくないという根性の持ち主。かつてトップスターをリフトしていて一瞬バランスが崩れ、無理な姿勢で相手を支えた。その結果、脚の筋と血管が切れ内出血。片足が紫色に腫れ上がったが、それでも踊り続けたという。
 世間に広く注目されたのは、長谷川一夫演出の「ベルサイユのばら」。そこで彼女は宝塚史上はじめて
臍を出して踊ることになる。これは全国的な話題になり、毎日グラフにも写真が載った。私も本人から写真を見せてもらったが、美しく、かつ妖しい。鍛えられた肉体と精神で踊る姿は人間の極限の美を表していた。
 その後宝塚を退団し、小さなレッスン室を開いて、指導者の道を歩む。大きくなったり小さくなったり、教室の場所も移動したりしながら、指導を続けた。全く素人の高校生にも県から頼まれて振り付けをした。
 ある日、芸大から声がかかり、ダンスの講師になる。そしてそこから力を認められて助教授、教授と上り詰めた。
 「これしかできません」と謙虚に話すが、振り付けの幅は広がる一方。もう還暦をすぎておられるのに倒れるのではないかと周りを心配させるほどエネルギッシュに活躍中である。好きこそものの上手なれ、ということでしょうか。(田畑保行)